性的虐待に加担していた母親

「服を脱いでこっちへこい」と、ある晩に母親に言われて彼女は従い、そのまま奥の間に入って行った。小学3年生くらいのときだった。母親の隣には見知らぬ男の人がいて、彼女の裸を見て母親とふたりでゲラゲラと笑っていた。その晩から、その部屋は彼女が一生涯忘れることのできない部屋になってしまった。

「いまでも、あのときの部屋の匂いとか、天井の雨染みの形とか、全部覚えているんですよね。なにをされているのか、あのころはよくわからなかったけど、体中を舌が這うような感触と唾液の匂いだけが、こびりついて離れない。それから記憶が飛んでいて、なぜかパンツだけ履いて上裸の状態で布団のなかにいました」

「気づいたら高層マンションの最上階の外階段に立っていて…」知らない間に自傷する人たちに共通する“幼少期のある経験”_2

直接的な表現はしなかったけれども、彼女の話すそれがなにを指しているのかは想像が
ついた。そして、彼女にとってはじめての解離症状が、このときだった。

それから、家のなかで起きていたという耳を疑うような話が続いた。裸で縛られて屋根裏に放置されて、ネズミがかじりにきて怖かったこと。「形が悪い!」と言った母親が、彼女の耳たぶを裁ちばさみで切ったこと。髪をかけて隠している左耳は、たしかに奇妙にえぐりとられたような形をしていた。

高校生のときに強姦被害に遭った彼女に向かって母親が言ったのは、「どうせあんたが誘ったんじゃないの、この色魔!」だった。寄り添ってくれた女性警察官は、やさしかった。

その帰り道で母親は、自分の彼氏だという男の人の性器の写真を「すごいでしょ」と言って彼女に見せてきた。

解離性障害は、大事件や大災害に巻き込まれるなどの圧倒的に太刀打ちできない状況に遭遇すれば、誰にだって起こるかもしれない精神症状だとすでに述べた。

彼女にとっては、人生そのものが大事件や大災害に匹敵する異常事態だった。

彼女の記憶の欠落が解離性障害によるものであり、悲惨な虐待が原因であると、私は確信した。