「いまの自分」を犠牲にしてはいけない
貧困問題にも京大生を哲学に向かわせてしまうような矛盾や葛藤があるので、「ぼちぼち」取り組むべきなのは同じでしょう。しかし環境問題は、SDGsの目標の中でも若者の正義感が先鋭化しやすいので、高校生にはとくに「取り扱い注意」のテーマです。
問題意識が先鋭化して、「学問」や「勉強」が社会運動のようなものになっていくと、そもそも否定しにくいキレイゴトが、ますます自分自身にとって揺るぎない絶対的な価値を持つものになるでしょう。そうなると、勉強の対象だったものに、自分の生活が縛られてしまう。極端な話、たとえば「脱プラスチック主義」が先鋭化すれば、レジ袋やストローはもちろん、あらゆるプラスチック製品の使用に嫌悪感を持つようになるかもしれません。
しかしプラスチックは現代の文明社会に欠かせないので、それをすべて排除しようと思ったら、ひどく不便で不経済な生活になってしまいます。正義感に燃える運動家は「サステナブル(持続可能)な世界にするためには仕方がない」と思って我慢するかもしれませんし、そういう自己犠牲に満足感を覚えることもあるでしょう。でも、それは決してSDGsの方針に沿うものではありません。
というのも、国連の定義によれば、「持続可能な開発」とは「将来の世代がそのニーズを満たせる能力を損なうことなしに、現在のニーズを満たす開発」のこと。「サステナブル」という言葉を聞くと、現在よりも将来の世界を大事にするようなイメージを抱きがちですが、SDGsは未来のために「いま」を犠牲にしろと言っているわけではありません。
現在に生きる私たち自身のニーズを満たしながら、将来世代のニーズも満たしましょう、という話です。だからこそ難しいわけですが、「いまの自分」の生活を大事にすることも忘れてはいけません。