「東京に住んでみて初めて、
沖縄が当たり前ではなかったと気づいた」
──大学進学時に上京されて、初めて基地が当たり前の存在でないことに気づいたそうですね。
日本大学芸術学部の映画学科に進学して、上京してきました。ここでは同級生は沖縄のことを全然知らないし、慰霊の日(※2)も知らない。別に沖縄にそこまで関心もないんですよね。その事実に打ちのめされました。そのときに、沖縄での常識も当たり前じゃないと、気づかされました。
(※2)慰霊の日…毎年6月23日。沖縄戦において1945年6月23日、陸軍の第32軍司令官牛島満中将と長勇参謀長が自決し、実質上、沖縄戦の敗戦記念日とされ、沖縄戦等の戦没者を追悼する日と定められている。この日は、沖縄全戦没者追悼式が糸満市摩文仁の沖縄平和記念公園で行われ、県内の公的機関は休日となり、正午に黙祷が捧げられる。だが、本土では大きく報道されない。
──そのときから沖縄をテーマとした作品を作ろうと思われていたのでしょうか。
そうですね。やっぱり、沖縄のことをみんなが知らなかったのがショックだったんです。
あとは、これまでの沖縄のドラマは沖縄戦の悲劇や反米軍基地を強調するメッセージ性の強いものになるか、「癒しの島」みたいなイメージで描かれるかの両極端だったので、エンタメでありながら沖縄の現実をしっかりと描くドラマを作りたい、という思いもありました。沖縄の問題は、白か黒かじゃない。それを描きたいという思いが今回の『フェンス』に結果的につながりましたね。
北野プロデューサーとの不思議な縁
──『フェンス』の企画ができた経緯をお聞かせください。
NHKエンタープライズの北野拓プロデューサーから僕に企画書をいただいて、「まさにやりたかった企画だ」と思ってお受けした、という形です。
北野さんは新卒でNHKに入った後に3年間、沖縄県で報道記者をしていたんですね。そこで、いろいろと沖縄の現状を知ったそうです。
企画書と脚本を担当された野木亜紀子さんの書かれたプロットを読んだときに「沖縄の現状をエンターテイメントの力で知ってもらおう」という北野さん、野木さんの覚悟と優しさを感じ、プロデューサーという立場を超えて、ウチナーンチュとして心から「ありがとう」と感謝し、この作品を世に送り出すことが自分の使命だと感じました。
一方で、脚本を依頼された野木さんは最初、やるかどうかすごく迷っていたそうなんです。やるとしたら、すごく勉強しなければいけないと。でも、北野さんの取材力に加え、沖縄出身の当事者である僕が加われば、本作をちゃんと作り上げることができる、これはやらないといけない作品だなと、引き受けてくださったそうです。取材の際にそう言ってくれたことがあって、それは本当にうれしかったです。