50年の節目だからこそ問いたい
沖縄返還密約事件とメディアの現状
沖縄が返還されて2022年で半世紀。この節目に我々が耳を傾けたい歴史の証言者がいる。元毎日新聞記者の西山太吉さんだ。
西山さんは、沖縄返還交渉の中で、ある重要な密約(米軍基地の原状復旧費用400万ドルの米側負担分を日本が肩代わりする)の存在を突き止めた気鋭の政治記者だったが、情報源である外務省女性事務官との男女関係をあげつらわれ、取材活動を犯罪(国家公務員法違反=機密漏えい教唆)として裁かれる(刑事事件で有罪確定)という十字架を背負った人物だ。
後に作家・山崎豊子が西山さんをモデルに『運命の人』(文藝春秋)という小説(全4巻)を書くが、この密約に象徴される日米安保体制における日本の対米従属構造はいまだに続いており、その有罪判決が国民の知る権利に応えようとするメディアの取材活動に今なお暗い影を投げかけているという意味では、まさに一つの歴史を作った“運命の人”である。
その“運命の人”も91歳になった。彼の最後の証言を誰かが聞き、日米安保史、メディア史を後世に残さなければならない。その聞き手に西山さんが指名したのが辛口評論家として知られる佐高信氏であり、ふたりの対談がこの度『西山太吉 最後の告白』(集英社新書)という本に結実した。
今回、本の出版を記念して、佐高氏と朝日新聞の諸永裕司氏の対談をお届けする。諸永氏は、2005年から西山さんを取材するベテラン記者で、今は亡き啓子夫人に食い込み、夫人の目から見た事件の真相・深層を『ふたつの噓 沖縄密約[1972–2010]』(講談社・2010年)にまとめ、事件解釈に新しい視点を提供した。
構成=倉重篤郎/撮影=五十嵐和博
佐高 私が今回、西山さんの告白に応じたいと思ったのは、今のメディアに対する不満からです。権力や企業がコンプライアンス(法令順守)とか言って、新聞記者もそれを従順に守っていくような風潮でしょ?
諸永 そうですね。
佐高 私も含めてだけど、新聞記者とかジャーナリストってカタギの商売じゃないじゃない。
諸永 昔は違いましたよね。
佐高 今だって本当はカタギの商売じゃないと思うし、カタギの商売になっちゃダメなわけだよ。そのことを、あの渡邉恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)が西山さんの刑事裁判で弁護側証人として証言(1973年2月)してるわけじゃない。「新聞記者はネタを取るためには殺人と放火以外は何でもやる」と。そういう記者気質はやっぱり残しておかなければならないと思うわけです。取材方法がどうのこうのとか、それは二の次三の次の話なんだよ。西山さんはそれに体張って、ぶつかって憤死したんだよね。
諸永 さまざまなかたちで真相に迫ろうとするのは当然ですよね。
佐高 国家権力というとんでもない化け物を相手にした時に、向こうはいろいろな手を使って絶対に引っかけてくる。その罠が待ち構えているところを行くわけでしょ? 西山さんは記者として異物みたいに捉えられてるけども、そうじゃない、そこが本筋なんだ、ということを残したいわけです。一方で西山さんは、国家に対してそこまでやったのは自分一人じゃないかと言う。結果的にね。その自負も正しいと思う。
諸永 ブン屋(記者)が徒手空拳で国と戦えるはずもないわけで、隠された事実をつかむためにはケガもするし、つぶれることもある。それが本当のブン屋だとすると、そういう振る舞いもマインドも今のメディアから消えていってるんじゃないかという危惧はありますね。
佐高 そういうブン屋を今の新聞社が抱え切れるか、という問題もあるね。ある意味芸者を抱える置屋みたいなものかもしれないけど、それの棟梁であるナベツネ(渡邉恒雄)が今や権力側の人間みたいに変化してるわけじゃない? それこそナベツネに聞いてみたいよね。あの時の証言を今どう思うのかって。西山さんではないが、ブン屋含めて物書きというのは、やっぱり訴えられる覚悟がないと。私は3回も訴えられてるから言うけど、訴えられないことがいいことだというのではおかしいと思うんだよ。
諸永 ブン(聞)屋って、つまり聞くっていうことですよね。聞く仕事、情報を取るのが仕事だと。だけど、西山さんは自分のことを「問い屋」だと言うんです。つまり、自ら問題がどこにあるのかを探して、その矛盾なり間違いなりを問うていく。視点を持って取材するのが本当のブン屋で、問い屋でなきゃいけないと言っていました。
佐高 今はSNSの時代で、膨大な情報が飛び交っているけれども、目の覚めるような情報ってない。そこには問いによって浮かび上がったものがないし、薄っぺらに流通してるような情報ばっかり。ところで、西山さんの顔どう思う? 昔はものすごくコワモテだよね。
諸永 人のことは言えませんが、正直かなり人相悪いです、当時は特に(笑)。
佐高 人相悪い。あれは近づきたくない。しかし、あれが新聞記者なんじゃないの? 政治家とかから怖がられる存在じゃなきゃ意味ないでしょ。某ジャーナリストみたいに、政治家にスシを食わせてもらうようなのは記者じゃない。政治家が怖がるような人でなきゃならない。そういう意味でも、やっぱり西山さんの事件は改めて検証したいと思うの。
密約のキモは「基地の自由使用」と
「日本側の財政支援」
諸永 ゲラを拝読したら、大平正芳(後に首相)さんとのエピソードが興味深かったですね。1年で300日は大平邸に通って、その信頼を得たと。これは多くの政治記者たちがやってたことでしょうが、それで大平さんにあそこまで食い込めたのは、やっぱり何かがあったんだと思うんです。それこそ、西山さんの言う「問い」なり、ぶつけるものがあった。ただ話を聞きに行っているだけでは、いくら毎日行っても情報はとれないと思う。そして、大平さんをつかんだことで、今度は外務省の官僚たちが、大平の一番記者だからといって近づいてきて情報が入ってくる。記者としてはものすごく王道の取材を重ねて、あれだけのスクープを出してきたんだなっていうことを改めて感じました。
佐高 「情報とは何か」という基本的な話で、私がSNSが苦手だから言うわけじゃないけど、あんなところに流通しているものは情報ではないんだよね。それもこの本を通じて言いたかったこと。情報というのは、どこか危ないものなんだよ。なんの危険性もない、触るとビビビとも来ないようなのは情報じゃないと思う。
諸永 施されてる化粧を剝いで、素がなんなのかに迫らないと。沖縄返還で言えば、400万ドルの密約は、総額6億ドルあまりの中では微々たる金額だけど、そこに日米関係を象徴する大きな矛盾が隠されていた。その粉飾を西山さんは剝いでいった。そこを見抜く臭覚はすごいなと今でも思います。
佐高 イフの世界だけど、もしニューヨーク・タイムズみたいに、あの電信文を全部ボーンと一面トップでぶつけていたら、この報道の影響っていうのはどう出たかな。
諸永 大きいものがあったと思います。ただし、実際に決断できたかどうかはわかりません。情報源の秘匿だけじゃなくて、西山さんの中でやっぱり沖縄返還をつぶしてはいけないという思いも働いてたんじゃないかって気はしますよね。もう一つ言えば、ベトナム戦争をめぐる機密文書、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」報道と決定的に違うのは、機密文書を持ち出して渡したエルズバーグには国の噓を明らかにしたいっていう意思がありましたよね。
佐高 情報提供者のほうにね。
諸永 でも、西山さんの事件では、情報ソースとなった外務省職員には、そういう思いは何もないわけですよ。そこが決定的に違う。
佐高 情報を剝いでいく時には、必ず危険が伴う。そこでコンプライアンスなんか言ってたら入っていけない。とりわけ権力にとって危険なものが情報なんだということを西山さんは身をもって示したわけだよね。
諸永 そうですね。人生をかけて。
佐高 勢い西山さんにとって沖縄問題はライフワークになった。本の中の対談では、本土復帰して半世紀たった沖縄のゆがみの根源にやはりあの返還交渉があった、との証言がありました。
諸永 返還交渉の中で、その後の日米関係を縛ることになる「基地の自由使用」と「財政支援」のからくりが生まれていったわけですよね。西山さん自身も当時は、返還交渉の一端しか見えてなかったけれども、2000年頃に米国の機密文書が公開され、全体像が明らかになった。と同時に、沖縄の基地問題の出発点があそこにあったこともわかった。返還によって今につながる基地問題の原型が作られ、沖縄の第二の戦後が始まった。西山さんだからそれが見えているということはあるかもしれないですね。
佐高 特に沖縄返還は「基地の自由使用」がキーワードだった。大平は西山さんに「(どうせ返還されても)自由使用だからな」と漏らしていたと。なぜ、池田勇人首相、大平官房長官コンビが当時、沖縄返還に熱心に取り組まなかったか。米国の自由使用は日本にとっての不自由、主権の侵害を意味するからだった。では池田の後を継いだ佐藤栄作がなぜ取り組んだのか。そして、あれだけの密約を結ばざるを得なかったのか。そこに大平に代表される宏池会と、岸(信介)・福田赳夫の流れをくむ清和会的な政治手法の差があった。このへんは、基地問題と今の自民党の体たらくを読み解くキーの部分なので、ぜひ本を読んで欲しいところだけれども、西山さんの政局史観的解説には、なるほどと唸るところはあったね。
諸永 自由使用ともう一つ、「財布としての日本」という部分も興味深いですね。国会にもどこにも諮はかられないまま、米軍施設改善維持費として6500万ドルが5年間にわたって支払われた後に、「思いやり予算」と建付けを変えて在日米軍基地のために払われるようになる。そのからくりも返還の時に始まっているとすると、本当に今につながる出発点だったということですね。