進化するお笑いに「懐メロ」の価値観は合わない?

音楽に懐メロ番組があるように、お笑いも懐かしむ番組はあっていいと思う。

ただ、そもそも論としてお笑いで「過去を振り返ること」はなかなかに難しい。
なぜかといえば、お笑いは時代に寄り添いながら進化するものであり、よく言われる「“今”のお笑いが一番面白い」というのがある種の真理だからだ。

趣味趣向や環境の変化はもちろん、倫理観なども含め背景が少し変わるだけで、昨日まで笑えていたものが今日は笑えないということはよくある。

したがって、当時どんだけ面白かったものでも、改めて今見ると色褪せて見えてしまいがちだ。懐かしソングならその色褪せ具合も楽しめるのだが、お笑いというのは笑えてナンボ。どうしても不利になってしまう。

また「あいつはすごかった」と語られるほどの芸人コンビというのが、果たしてどのくらいいるだろうかというのも難しい点だ。

現代の芸人は、テレビの世界において裏も表も過去も未来も全て見せなくてはならず、結果的に身ぐるみはがされてしまう。なんか凄そうな天才との触れ込みで世に出てきた人も、先輩芸人から数々の洗礼を受け、密着カメラがつき、至る所でエピソードトークを語らねばならない。そうするとミステリアスな孤高の天才芸人はいつの間にか普通の芸人の一人になっていく。もちろん実際には才能のある人が売れているのだが、ほとんどの人が世間からは「天才」とは思われなくなっていく。

前述のフォークダンスDE成子坂は誰もが認める天才であり、GAHAHAキング王者など結果も残していたが、当時の空前のボキャブラブームには乗り切れなかった。その後、ボケの桶田敬太郎がお笑いの世界から離れ、ツッコミの村田渚は早逝。さらにはその桶田も2019年に48歳で亡くなった。彼らが今も両名存命で芸人をやっていたらどうなっていたかはわからないが、ここまでの伝説にはなっていなかったのではないか。

そう考えるといくら大量芸人輩出時代とはいえ、ある種の神秘性を持って語られるに足るお笑い芸人は意外と少ない。結果すぐにネタが尽きてしまい、「えっこの人まで伝説扱い?」みたいなことになりはしまいか。

リバイバルという手法で今のお笑いにフィット

たとえば「なかやまきんに君に到るルーツ、伝説の元祖筋肉芸人・ぶるうたす特集」と銘打たれてもピンと来る人は少ないだろう。ちなみにぶるうたすは、すごい筋肉でボディビルのポーズをとりながら筋肉漫談をしていた人である(筋肉ニュースとか)。じゃない例として出したのに、久々に見たくなってしまった。

と、不安材料を並べてている一方で、そんなに心配しなくてもいいのかもとも思う。
確かにお笑いは、時代とともに塗り替えられていくし、多くのものは古いと一刀両断され忘れ去られていく。しかし、ビートルズの音楽が当時を知らない世代から何度も何度も振り返られ、いつまでも色鮮やかであり続けるように、お笑いも定期的に振り返られ蘇ったりする。

最近においても、若者が昔のコント番組を動画サイトなどで見て楽しんでいると聞く。我々のようなリアルタイムで見ていた世代が心配しなくとも、当時を知らない若年層にとっては新鮮でちゃんと面白いのだ。

端的な例が昨今のゴリエのリバイバルブームかもしれない。若者中心に過去の『ワンナイR&R』(フジテレビ系列)の動画が発掘され、「なにこの半端ない身体能力を使ったコント?」となり、『新しいカギ』(フジテレビ系列)でゴリエ復活スペシャルが放送され、一部企業でCM起用開始、ついにはこの4月からレギュラー番組まで始まっている。ゴリエの全盛期は約20年前。それを復活させたのは全盛期を知らない若年層である。