武装? 自己満? ただの趣味?
いい歳こいた男がファッションにこだわる意味とは
かつて、メジャーなファッション誌の編集長を、曲がりなりにも務めていた自分が、のっけからこんなことを言うのもなんだが、いい歳こいた男がファッションにこだわる意味ってあるのかな?と思うときがある。
おっさんがトレンドを追い回して過剰なおしゃれをしても、「いったい何を期待しているんだ?」と気味悪がられるのがオチだ。
そんな自意識モンスターにならないように気をつけながら、清潔感のあるスタンダードな服を、普通に着こなしているのが一番、真っ当なような気がしてしまう。
まったく、つまらない話だが。
ただ僕も50を過ぎた立派な大人なので、社会的に責任ある立場になった同年代の人が、仕立ての良いスーツや高級な革靴にこだわるのは理解できる。
対外的な信頼感につながるだろうし、何より着ている本人の意欲や気力をみなぎらす、一種の“武装”のようなものだと思うからだ。
だが僕はといえば、万年“武装解除”人間なのである。
大学を卒業して就職する段に、遊び半分で楽しめる仕事をしたいと考え、好きな雑誌を発行していた出版社の編集職を選んだ。
そしてキャリアの大半において、ストリートファッションやエンタメ系サブカルチャーにまつわる分野に携わってきたうえ、キリッとした格好をしなければならなくなるほど出世する前に会社勤めからドロップアウトしてしまった。
だから現在も、スーツとはほぼ無縁の生活をしている。
そしてカジュアルファッションについても、前述のような根本的懐疑心を抱いているのだ。
でも最近、なぜか琴線に触れるファッションアイテムを立て続けに見つけてしまい、この春用にと思って買った。
手に入れたそれらをためつすがめつして考えたところ、これはもっぱら自己満足のためだなということに改めて気づいた。
ファッションとは本来、誰かに見てもらって褒めてもらいたい、なんならそれで異性にモテたいという願望が底流にあるもので、若者のファッションは今でもそうあるべきものだと思っている。
だが僕くらいの年齢になるともはや、ひたすら自己完結的な趣味として楽しむものに変化しているのだ。
夜中にヘッドフォンで好みの音楽を聴いて心を沸き立たせ、誰かとその気分を分かち合うことがなくても、ほくそ笑んでいられる感覚に近い。
だから、こんな公の場でわざわざ文章にして発表するのも、“誰得?”とは思っている。
でも、僕が買って一人で興奮し、満足しているアイテムがどんなものか、少しは興味があって笑って読んでくれる人もいるかもしれないと思い、気が引けながらも公開する次第である。