「取材」とは相手から「何かを奪う」行為である

金平 統一教会の問題も酷いですけど。もうワイドショーではだんだんやらなくなったでしょう。『ミヤネ屋』を除いては。僕はそういうのが嫌なんです。一回関わったら、メディアとか取材者の責任は一生ついてまわるから。

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ジャーナリスト・金平茂紀氏
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僕が自分のことを「ニュースバカ」とか「報道バカ」と言っている理由は、取材するというのは一度関わったら足抜けできないから。

取材する、撮るっていうのは、英語ではshootと言う。「弾を撃つ」のと同じ単語で、「相手を殺す」ぐらい深い関係を結ぶ、という意味がある。「取材」と言うくらいなので、相手から何かを奪うってことですから。河野さんもそうだと思うけど、相手とそういう関係をつくることが「取材」だっていう思いがある。

だから、その場しのぎだけにはならない。忘れているようなことでもある日、急に蘇ってきたりして。

河野 ありますよね。私もある高校と、ヤンキー先生のいた学校ですが、30年以上つきあっています。一度関わったら足抜けできないという言葉、よくわかります。

金平 まあとにかく、テレビっていうメディアは、こわいです。ひとの人生変えるから。

いまはインターネットとかSNSで、誰でも自撮りをして「わたしを見て」というのが普通になったけど、テレビは自分が撮ったものじゃなくて、「報道機関でございます」「これは番組です」と撮ったものが飛び込んでくる世界ですから。強制的に目に入っちゃう。お金を払って映画を観に行くのとは違う。

そういう「テレビの力」って、本当に怖いですよ。そこに出てしまった人の運命を変えてしまう。そこについての思いは、この仕事をし続けていると必ず返ってきますよね。自分に。栗城さんみたいな人、イッパイいますもん。

河野 映像は強いですからね。その強い映像を、誰もが操れて発信できる時代になった。技術や表現や報道倫理とかも関係なく、「一億総メディア」。みんなが劇場の主人公になっちゃいましたよね。

そんな恐ろしい世の中にあっても、慎重に、でも臆さずに、伝えるべきことを伝えていきたいと思います。表現者のはしくれとして。

聞き手・構成/朝山実 撮影/野﨑慧嗣(金平氏) 定久圭吾(河野氏)

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場
河野 啓
「登山家・栗城史多を殺したのは私かもしれない」著者・河野啓氏が書籍『デス・ゾーン』に反省と考察を書き加えた理由_8
2023年1月20日発売
825円(税込)
文庫判/384ページ
ISBN:978-4-08-744479-7
第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の文庫版が1月20日に発売された。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗(くり)城(き)史(のぶ)多(かず)氏を描き、注目を集めた一冊だ。
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