「嘘と真」の境界線を生きた不思議な登山家
━━まず河野さんから『デス・ゾーン』の文庫版解説を、金平さんに依頼された理由をうかがっていいでしょうか?
河野 私は、金平さんがモスクワ特派員だった頃から緊張感のあるリポートをされているのを拝見していて、敬意を持っていたというのが一つです。
1991年8月の軍事クーデター(ソビエト連邦時代、ゴルバチョフ大統領に反対する保守派勢力が起こしたが失敗に終わる。結果、ソ連崩壊へといたる)でモスクワに戦車が向かっていた日、私はサハリンにドラマの撮影に行っていたんです。
金平 ああ、そうでしたか。
河野 その後、お話ができたのが放送文化基金のフォーラムで。「わたしはニュースバカだ」と話されていて、面白いひとだなあと。
そういうベースがあったのと、この本は「嘘と真(まこと)」の境界線を生きた不思議な登山家を追った本なので、「ニュースバカ」を自認される金平さんがどう読んでくださるのか。恐怖と期待で、ぶしつけながらお願いしました。
金平 僕はあちこちで「ニュースバカですから」って言っていて。もう46年ずっとニュースしかやってきてないから(笑)。
河野さんのお仕事ぶりについて僕がよく覚えているのは、「ヤンキー先生」として一世を風靡する義家弘介氏(自民党・参議院議員)を取材したドキュメンタリー番組。『ヤンキー母校に帰る』という。
その後、彼は全国的な知名度を得て政治家に転身していくわけですけど、世に出るきっかけをつくったのは河野さんだと僕は思っています。
河野 はい。
金平 北海道のいわゆる「底辺校」「落ちこぼれ校」で立ち直ったワルが、教師となって母校に帰り、生徒を見捨てず奮闘する。僕もテレビ屋なので、そういうストーリーに河野さんが食いついたのは、わかる。
だけども、義家氏が政治家に転身し「教育のプロだ」と前に出るようになったときに、一度、河野さんと長いやり取りをしましたよね。
河野 よく覚えています。
金平 その時に言われたのは、「もう本当に後悔している」と。
河野 はい。義家さんはヤンキー先生時代とはまったく異なる教育論を語るようになった。その一方で、テレビ番組に描かれた過去を都合よく自己宣伝に利用している。
金平 そうそう。怒り口調で言っていましたよね。メディアが取り上げることによって、そのひとの人生が変わってしまうというのは、僕も経験があるからわかります。