武藤魂が続けば日本のプロレス界の未来は明るい
昭和29(1954)年2月19日、蔵前国技館で力道山が木村政彦と組んでシャープ兄弟と戦った試合が現在につながるプロレス興行の始まりと言われる。関脇まで昇進した大相撲を引退しプロレスラーに転向した力道山は「日本プロレス協会」を発足し、大相撲の部屋制度を参考にした後進を育成するための「道場」と合宿所を作った。
若手選手には過酷な練習を「道場」で課し、観客に説得力を持たせる常人離れした肉体を作ることを力道山は目指した。
そして、昭和35(1960)年4月に力道山の弟子となったアントニオ猪木は、日本プロレスを追放され、同47(1972)年1月に新日本プロレスを設立した時に自宅を改装し庭を潰して真っ先に道場を建設した。力道山の「闘魂」を継承した猪木は、道場で妥協のない練習を同じように後進に課した。
さらに団体の社長業、実業家として多忙を極めたが深夜に一人で道場へ足を運び、新日本の看板を背負うトップとして人知れず練習を重ねていた。その猪木の姿を見た藤波辰爾、長州力、藤原喜明、佐山聡らが道場で技を磨き、肉体をいじめ抜き日本のプロレス界を隆盛に導いた。
猪木の弟子で薫陶を受けた武藤は、こうした力道山から猪木へ流れる日本プロレスの伝統を受け継ぎトップレスラーとしての責任感から肉体を追い込み、その結果が引退となった。時代を作った武藤がリングから去ることは寂しい出来事だが、今度は、武藤が受け継いだ伝統を後進のレスラーが続けていければ、日本のプロレス界の未来は明るいだろう。
武藤の引退試合は2月21日に行われる。
力道山が初めてシャープ兄弟と戦ったのは2月19日。そして2月20日は昨年10月1日に79歳で亡くなった猪木の80回目の誕生日だ。そして21日に武藤が引退する。
2月19、20、21日。この3日間は、日本のプロレス史を象徴する時間でもある。
取材・文/福留崇広(スポーツ報知記者)