引退決断直前の武藤に何が起きていたのか?

昭和、平成、令和を駆け抜けた伝説のプロレスラー

プロレス界のスーパースター、武藤敬司が2月21日に東京ドームでの内藤哲也戦を最後に引退する。1984年10月5日の蝶野正洋戦でのデビューから38年4か月に及んだプロレス人生は、新日本プロレス、全日本プロレス、WRESTLE―1、プロレスリング・ノアと所属団体を移り、昭和、平成、令和と時代を越えファンの心を掴み続けた。

武藤敬司が何よりも大切にしてきたものとは…。トップレスラーとしての誇り「練習」が武藤のプロレス人生に終止符を打った。「俺らはお客様に何を見せるか。まず重要なのは…」_1
写真:平工幸雄/アフロ
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化身の「グレート・ムタ」で全米でトップを極めたカリスマは「股関節の負傷」で引退を決断した。リングを去るほどに追い込まれる重傷を負った真相を探ると、力道山からアントニオ猪木を経て武藤につながる日本のトップレスラーが受け継いできた「伝統」が浮かび上がって来た。

武藤が引退を表明したのは昨年6月12日、さいたまスーパーアリーナのリング上だった。マイクを持った武藤は「かつてプロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までに引退します」と宣言した。バックステージで取材に応じた武藤は引退の理由を「股関節の負傷」と明言。

「このまま続けてもいずれ股関節は人工関節にしなきゃいけない。そうなるとプロレスは続けられない」と重大決断に至った背景を説明した。

以来、武藤の引退理由は「股関節の負傷」と報じられ続けているが、なぜ、辞めるほどまでに至ったかについて、本人はほとんど明かしていない。私は武藤のプロレス人生を描いたノンフィクション『さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録』(イーストプレス刊)を2019年5月に上梓した。さらに引退表明を受け、取材を重ね、今年1月12日に徳間書店から本書を文庫化した「完全版 さよならムーンサルトプレス 武藤敬司「引退」までの全記録」を出版した。

その中で武藤が「股関節」に重傷を負った真相を探り、辿り着いた答えはトップレスラーとしての誇りにあった。