トップレスラーとしての誇り

武藤は24歳の時に膝を負傷して以来、日常生活で歩くことが困難になるほど膝のケガに悩まされ続けた。それほどのハンデを負いながらリング上では他のどのレスラーよりも光り輝き、数々の名勝負をマットに刻んできた。

武藤敬司が何よりも大切にしてきたものとは…。トップレスラーとしての誇り「練習」が武藤のプロレス人生に終止符を打った。「俺らはお客様に何を見せるか。まず重要なのは…」_2
©PRO WRESTLING NOAH

しかし、57歳になった2018年3月に両膝の人工関節設置手術を決断。人工関節における世界的権威の東京・足立区の苑田会人工関節センターの杉本和隆病院長による手術は成功し、19年6月の復帰からは両膝に人工関節を入れた体で戦い続けた。

同時にこの手術が成功したことで30年あまり戦ってきた両膝の痛みから解放され、手術前には、ほとんどできなかった下半身の筋力トレーニングに没頭した。そして、この激しい「練習」が武藤を追い込んだ。

「膝の痛みがないから、ずっとやれなかったスクワットを熱心にやったんだ。細くなっちまった脚を太くしたかったからね。ただ、それがよくなかったんだ。重りを乗せてスクワットやったから、今度は股関節に負担が来ちまったんだよ。
それで関節が変形してさ。痛くて痛くてどうしようもなくなったんだ。膝なら何とか歩けたけど、股関節は体の中心だから、ここをケガするとどうにもならねぇんだ。動かなくなるんだよ。結局、自分で自分を追い込んじまったんだよ」

武藤が自らに課したスクワットは「ハックスクワット」という器具を使うスクワットだった。この練習で武藤は最大200kgの重さを乗せて下半身をいじめ抜いた。結果、股関節は悲鳴を上げ「引退」にまで追い込まれる重傷を負った。「練習」が武藤のプロレス人生に終止符を打ったのだ。

武藤は、生活の中心を「練習」に置いている。起床は毎朝5時。朝食を食べて午前8時25分には自宅近くのトレーニングジムへ行く。5時に起きる理由は、ジムのオープンが午前9時で一般的に摂取した食事が消化するのは3時間かかると言われているため、練習時間から逆算した早朝に起きるのだ。