「教養」としての「ポップカルチャー」

ファスト教養とファスト映画の共通項について指摘したが、映画のようなポップカルチャー、もしくは学校の勉強とは距離があるジャンルについて語るうえで、「教養」という概念を持ち出す傾向は昨今定着した感がある。これから挙げるのは、いずれも二〇一九年以降に刊行された実在する書籍である。

『仕事と人生に効く教養としての映画』
『教養としてのラーメン』
『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』
『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』
『ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー』
『教養として知りたい日本酒―世界のビジネスエリートが大注目!』
『新しい教養としてのポップカルチャー―マンガ、アニメ、ゲーム講義』
『ビジネス教養としてのゴルフ』
『教養としての腕時計選び』
『教養としてのロック名曲ベスト100』
『教養としてのマンガ』
『教養としてのビール―知的遊戯として楽しむためのガイドブック』
『教養としての将棋 おとなのための「盤外講座」』
『ビジネス教養としてのアート』
『教養としての食べ方―おとなの清潔感をつくる』148
『外国人にも話したくなるビジネスエリートが知っておきたい教養としての日本食』
『教養としての写真全史』
『ビジネスに活かす教養としての仏教』
『教養としてのミイラ図鑑―世界一奇妙な「永遠の命」』
『平成最後のアニメ論―教養としての10年代アニメ』
『教養としてのヤクザ』
『高いワイン―知っておくと一目置かれる 教養としての一流ワイン』
『教養としての現代漫画』
 
何であれそのカルチャーに興味を持つきっかけとして機能するのであれば、その担い手としては嬉うれしいことなのかもしれない。優れたガイドの存在がそのカルチャーの間口を広げてくれるのも事実である。

ただ、こういった書籍の存在は、取り上げるカルチャーを「とりあえずおさえておきたい知識」の一つとしてエントリーさせる機能を果たす。つまり、「味わう」のではなく「知識を得る」ビジネス書的な世界にその文化が接続されることになるとも言える。

先ほど紹介した稲田の記事では、「彼らは、『観ておくべき重要作品を、リストにして教えてくれ』と言う。彼らは『近道』を探す。なぜなら、駄作を観ている時間は彼らにとって『無駄』だから。無駄な時間をすごすこと、つまり『コスパが悪い』ことを、とても恐れているから」という若者層の傾向が紹介されている。教養という言葉とともにそのジャンルのエッセンスを教えてくれるタイプの本は、時代の要請に応えているのだろう。