両親へのカミングアウト、父親の半身不随…
明るく楽しいお嬢様を演じる日常を過ごす一方で、中学生の頃に声を出すことができなくなり、やがて引きこもる。浮き沈みの激しい当時の様子は、配信中の新刊『精子バンクで出産しました! アセクシュアルな私、選択的シングルマザーになる』(KADOKAWA)にも描かれている。
やがて生活の糧を得るためにキャバ嬢へ。そして本来の自分になりたいと男性ホルモンを打ち始めたのが2011年だ。この当時の話も漫画として描かれている(本稿ラストに漫画の一部を掲載)。
その間に大きな出来事が2つあった。ひとつ目は25歳のときに両親にカミングアウトをしたこと。
「母親からは『あなたが性同一性障害のわけないじゃない』と否定されました。認めたくなかったんでしょうね。普通の女の子であってほしいと。父もやはり認めたくなかったようで『お父さんはそんなことないと思う』といった感じで否定されました。
テレビなどで放送されるカミングアウトが美談なだけであって、絶対、カミングアウトに失敗している人ってたくさんいると思います。私もそのうちのひとりなんですけど」
そして、2つ目は父親が脳出血で倒れ、半身不随になったことだ。脳に障害が残り、会話もままならなくなった。唯一、愛情を感じることができた父親と、会話が成立しない。それを知ったときは衝撃だったと振り返る。
「父は生きているけれど、死んでしまった感覚に近いかもしれないです。それまで知っている父とは全然違っていました。『あー』とか『こんにちは』、『おなかすいた』とか簡単なことしか言えない。脳の障害で会話のキャッチボールができなくなっていました。ショックでしたね」
ひとりぼっちになってしまったと強烈な孤独感に襲われた。そのときに、初めて湧きあがってきたのが「家族がほしい」という思いだった。
「私の知っている父がいなくなってしまった。家族がいなくなってしまったのほうがふさわしい表現かと思います。その瞬間でした、家族がほしいと思ったのは。子供がほしいよりも、家族がほしいでした。逆に言えば、それまで『家族がほしい』と思ったことはなかったです」
華京院さんが精子提供を受けて妊娠・出産をしたのは、家族がほしいという切実な願いからだった。そして、まず「養子を迎える」ことを考えた。しかし、現在、特別養子縁組の要件は配偶者がいる夫婦でなければいけない。シングルの人や婚姻関係にない男女は要件を満たしていないことになる。友情結婚の選択肢はなかった。最後に残っていたのが、精子提供だった。
自力で海外の精子バンクを探し、ドナーを探し、妊娠・出産をした。
事象だけを書くと、あっさりとまとめてしまっているが、精子バンク探しも、ドナー探しも、妊娠届け出書など役所関連の手続きも、妊娠・出産ともに、すべて大変な作業だったという。精子提供でシングル(選択的シングルマザー)であることが、一層そうした手続きを(特に役所の手続き関連)困難にした。