母親から殴られ、アセクシャルのような父親に育てられた

母からの虐待、生活のためにキャバ嬢、最愛の父の事故…Xジェンダーでアセクシュアルな漫画家が精子バンクで出産した理由_3

華京院さんは近代的な高層ビル群の足元に下町情緒が残る地区、東京中央区・佃で生まれ育った。当時にしては遅いほうの結婚であった30代の両親は、結婚相談所で知り合い、結婚した。
傍から見れば、伝統的な日本の普通の家族だ。けれども、華京院さんは、幼少の頃をこうふり返る。

「いい場所でいい家庭をつくろうとしたばっかりに、ハリボテの家族ができちゃった感じです。母は上品なお嬢様に育てたかったみたいで、その理想像から外れる言動をすると殴られました」

幼少期から、本来の自分は虫取りが好きな活発な男の子だと思っていた。ただ、そうしたありのままの自分をさらけ出すと母親から殴られてしまう。いつしか、幼心に暴力を回避する術を無意識のうちに身につけていた。

「なぜ殴るの?とはずっと思っていて、考えた結果、私が悪いから殴られるんだという結論に至りました。だから、社会的には明るくて楽しいお嬢様を演じていたんです。無意識だったので、生きる術だったんでしょうね。それをしないと生きていけなかった」

母親は華京院さんが0歳の頃に実家へ帰ってしまい、一時的に育児からも離れていた。現在でいうネグレクト(育児放棄)だ。その間の育児や家のことすべては父親が行った。寡黙な人だったが、華京院さんは父親に感謝し、今も一番に愛情を感じている。と同時に、父親を冷静に見てもいる。

「父は本当は独身でいたかったのかもしれません。私、父も完全にアセクシュアルだと思っているんです。恋愛の話をしたら、恋愛をしたことがないといった反応だったので。父が若い頃にアセクシュアルの人がいなかったのではなく、気づかなかったか、表にださなかっただけだと思います。もちろん、ゲイの人もレズビアンの人も昔からいたと思います。そういったなかで“結婚しないといけない”というまわりの圧力があったのかと。そして結婚したら、次は子供をつくってと…」

父親は数年前に亡くなっている。結局、父親のセクシュアリティを知ることはなかったが、華京院さんの親世代(団塊世代)の性的少数者は、現在よりももっと窮屈な思いをして生きていたのかもしれない。