〝幼稚なテロリスト〟を不可避的に生み出す社会

――『令和元年のテロリズム』で書かれている事件は、従来の〝テロ〟とは質が異なりますよね。

もちろんそうです。とはいえ、いわゆるテロではない事件をあえてテロと解釈する手法は何も私が適当に考え出したわけではなく、そこには系譜があります。

『令和元年のテロリズム』を書く上で指針となったのが、小熊英二さんの『平成史』ともうひとつ、東浩紀さんが2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件直後に「朝日新聞」で発表した「この事件をあえてテロととらえたいと思う」という記事です。

東さんの論旨は次のようにまとめられます。

加藤智大は犯行にあたって「通常の意味での政治的主張」を述べたわけではない。むしろ、彼がインターネットに残した大量の書き込みには「身勝手な劣等感ばかりが綴(つづ)られ」、「社会性のかけらもないように見える」。

一方で、彼は親から虐待に近い扱いを受けて育ち、事件当時は非正規雇用労働者として不安定な環境にあった。逮捕後の取調べに関する報道から見えてきたのは、彼に「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒りがある」ことだと。

しかし、加藤は自身の絶望と怒りがどこからやってくるのかわからなかった。故に、その暴力は「首相官邸や経団連本部」のような具体的な権力の象徴ではなく、彼にとって繁華街のイメージがあった秋葉原の「無辜(むこ)の通行人」に向けられた。

《彼はその点でいかにも幼稚だった。無辜(むこ)の通行人を殺してもなにも変わるわけがない。しかしその幼稚さは、怒りの本質にはかかわらない。だから、筆者はこの事件をあえてテロととらえたいと思うのだ》
《私たちは彼のような〝幼稚なテロリスト〟を不可避的に生み出す社会に生きている。犠牲者の冥福のためにも、その意味をこそ真剣に考えねばならない》(『朝日新聞』2008年6月12日)

加藤自身は、事件の背景に社会的な問題があるとする見立てを否定しました。しかし実際のところ、秋葉原殺傷事件は非正規雇用問題に注目が集まる一因となり、その年の暮れにはいわゆる〈年越し派遣村〉が開設されました。

つまり、加藤の思惑とは別に、彼の犯罪もまた〝テロ〟として成立してしまったわけです。