1983年の紅白歌合戦、生観戦した僕が
もっとも感銘を受けたアーティストはあの人

アイドル勢以外にも、この年の紅白にはすごい人たちが続々登場した。

特筆したいのは、大ヒットアニメソング『CAT'S EYE 』を歌った杏里(22歳)、サザンが提供した『そんなヒロシに騙されて』を歌った高田みづえ(23歳)。
意外なことにこの年が最初で最後の紅白出場となった『メリーアン』のALFEE(桜井28歳、坂崎と高見沢は29歳)、楽器を演奏せず、メンバー全員でミュージカル調に『東京シャッフル』を歌い踊ったサザンオールスターズ(桑田佳祐、原由子をはじめ多くのメンバーが27歳)などである。

中2生には無理からぬことだと思うが、まったく興味がなかったため、演歌勢が歌っているときはトイレに行ったり、ロビーでジュースを飲んだり、席でよそ見しながら鼻くそでもほじっていたのだろう。
ほとんど記憶にないのだが、そんな中では大衆演劇役者で“下町の玉三郎”として人気が急上昇し『夢芝居』がヒットしていた梅沢富美男(33歳)、そして大瀧詠一提供のポップス『冬のリヴィエラ』を歌って16回目の出場を果たしていた森進一(36歳)は記憶に残っている。

そして紅白合わせて全42組が出場した中で、会場で観ていた僕がもっとも興奮させられたのは、当時35歳の沢田研二だった。
会場が暗転して真っ暗闇になる中、可動式の演台に乗ってバックバンドのEXOTICSとともに、向かって右袖から現れた沢田研二。
衣装にはいくつかのまばゆいサーチライトが仕込まれていて、暗闇となった客席に演者側からライトを当てるという趣向だった。

衣装はそれを見たタモリが「歌う日露戦争」と表現した、ロングコートに制帽風の帽子を合わせた軍人スタイル。
きっと今だったら“ナチスを連想する”として批判されそうな衣装だが、これがまあ死ぬほどかっこよかったのだ。

歌は銀色夏生・作詞、大沢誉志幸・作曲の『晴れのちBLUE BOY』。

テレビ放送ではうまく調整されていたようだが、他の歌手の演奏とは違い、沢田研二のバックバンドの音が腹に響くような爆音だったことも、興奮を誘う材料だった。

艶やかなメイクを施し、サーチライトの光を投げつけながら激しく踊り歌う沢田研二はたまらなくイカしていた。

タモリが初の総合司会、ジュリー、明菜、聖子……僕がNHKホールの客席から観た、1983年の紅白歌合戦_5
沢田研二『晴れのちBLUE BOY』

当時の沢田研二は、その衣装も楽曲も、世界の音楽界の最先端スタイルをうまく取り入れていたことで知られる。
そして中学生ながらニューウェーブ好きだった僕は、歌う沢田研二を見てすぐにピンと来た。

その衣装やサウンドは明らかに当時の僕が傾倒していた、アダム・アンド・ジ・アンツやデュランデュラン、カルチャー・クラブ、そして何より、ジャングルビートのバウ・ワウ・ワウを彷彿とさせるものだったからだ。
1983年の紅白歌合戦で沢田研二がやっていたのは、イギリスのロンドンで燃え盛っていたニューロマンティクスやゴスに通じるパフォーマンスだったのだ。
今でも思い出すだけで気持ちが熱くなるけど、おじいちゃんおばあちゃんを含む数千万人が視聴する紅白歌合戦でそれを演るって、すごい勇気だと思いません?

そういうわけで、忘られぬ39年前の紅白について、多少オーバーヒートしながら勝手きままに書き進めてみましたが、いかがだったでしょうか。

翻り、今年の紅白はどうなるんだろうか?
あの頃のような熱い気持ちにはとてもなれないだろうなとは思いつつ、この原稿を書いていたら、なんだか少し見たくなってきた。

タモリが初の総合司会、ジュリー、明菜、聖子……僕がNHKホールの客席から観た、1983年の紅白歌合戦_6
ADAM AND THE ANTS『Prince Charming』

文/佐藤誠二朗