現代でもレジェンドとして語り継がれる
80年代アイドルたちが続々登場
アイドルの時代と呼ばれた80年代だから、紅白にも錚々たるメンツが並んでいた。
紅組の出場順では、柏原芳恵、河合奈保子(20歳)、早見優(17歳)、中森明菜(18歳)、そして松田聖子(21歳)。
つい飛ばしちゃったけど、当時24歳だった榊原郁恵もまだまだアイドル然としてたっけ。
(イクエちゃんといえば、ちょうどこの原稿を書いているときに、最愛のダンナ様・渡辺徹さんの訃報が流れた。ああ、ラガー刑事……。心よりご冥福をお祈りいたします。)
白組はシブがき隊(本木&布川が18歳、薬丸17歳)、近藤真彦(19歳)、田原俊彦(22歳)。
紅組と比べて少ないと思われるかもしれないが、前述の西城秀樹、野口五郎、郷ひろみは揃って28歳で、まだどちらかといえばアイドルチームだったのだ。
何しろ、ともに福岡出身の郷ひろみと松田聖子の恋仲が報じられ、実際にラブラブだった頃なのである。
そしてともに初出場で、『夏色のナンシー』を歌った早見優と、『禁区』を歌った中森明菜。
僕はその一挙手一投足を目に焼き付けようと、持ってきていた双眼鏡を痛いくらいに目に押し付けた。
生意気なパンク少年の僕だったが、顔がめちゃくちゃ好みだった(中学生なので短絡的ですみません)早見優は、小泉今日子が台頭するまで、心に秘めたるイチ推しアイドルだった。
そして東京都清瀬市出身の中森明菜は、隣接する東久留米市に住んでいた僕らにとっては無視できない存在だった。
スタ誕に出はじめてすぐの頃から、「清瀬の元不良で死ぬほど可愛いコがデビューするらしいぜ!」と噂になっていたのだ。
でもそんな中森明菜は、歌唱後に紅組司会の黒柳徹子と話している最中、足がガクガク震えていたのだ。いやあ可愛い! 初々しかったんだなあ。
シブがき隊は『挑発∞(むげんだい)』を歌った。
生モックンの歌中のセリフ「もう迷わないぜ。抱いてやる!」のインパクトが強すぎて、しばらく頭の中をぐるぐると巡り続けたっけ。
そしてマッチが歌ったのは、11枚目のシングル『ためいきロ・カ・ビ・リ・ー』。
曲の雰囲気にそぐわない赤ブレザーにネクタイというプレッピーな衣装で登場したマッチだったが、本物のバイクとともに現れたロッカー風のバックダンサーが、歌が進むにつれてマッチの衣装を破いて剥ぎ取っていくという無茶な演出で、歌い終わる頃のマッチは腕がむき出しになり、下半身も短パン状態になっていた。
会場で見ていた中坊としては特に疑問に思わなかったが、今考えてみたら、なかなかあり得ない演出だ。
そういえばアイドルが歌うとき、バックに大勢のダンサーを従えるのが当時の歌番組でよく見かける光景だった。
女性の場合はスクールメイツというダンスチームが主体で、特に紅白歌合戦のような大型番組では、間奏中に大勢のスクールメイツが歌手を囲んで隠し、掃けるときには衣装が変わっているという演出がよくされていた。
1983年の紅白でも近藤真彦だけではなく、柏原芳恵や小柳ルミ子(31歳)が早着替えを披露して会場を沸かせていた。
いやあ、もう、何の話をしているんだか。