総合司会に抜擢されたのは、お昼の番組で
人気が爆上がりしていたあの人だった

1983年12月31日。

午後9時になると同時に会場にはオーケストラが演奏するファンファーレが鳴り響き、怪しい風体の男が舞台袖からステージ中央に歩み出てきた。
タキシードに身を包み、ポマードでテカテカに固めた真ん中分けの頭髪とティアドロップサングラス。
この年の紅白総合司会、タモリ(当時38歳。以下に記述する人物の年齢はすべて当時のもの)である。

前年にスタートしたフジテレビ「笑っていいとも!」の司会に抜擢されて以降、“夜の匂いがする癖の強い芸人”から、“昼間のお茶の間の顔”に転じて人気が爆上がりだったタモリだが、まだまだ紅白の司会なんかやらせて大丈夫?と訝しむ人が大半だった。

僕を含む会場の観客、それにブラウン管の前の数千万の国民が、「コイツ何かをしでかすんじゃないか?」と固唾を飲んで見守る中、タモリは少し茶化すように「へへ」と笑ったあと、まじめに「第34回、NHK紅白歌合戦!」と高らかなタイトルコールをおこなった。

紅組のトップバッターである岩崎宏美(25歳)が『家路』を歌ったあと、白組のトップで登場したのは西城秀樹だった。
歌ったのは、今もいろいろな意味で語り継がれる名曲『ギャランドゥ』。
28歳の西城秀樹は声にハリがあり、ダンスはキレッキレ。
向かうところ敵なし、怖いものなしのかっこよさだった。

タモリが初の総合司会、ジュリー、明菜、聖子……僕がNHKホールの客席から観た、1983年の紅白歌合戦_2
西城秀樹『ギャランドゥ』

赤組2番手の柏原芳恵(18歳)は、中島みゆきから提供されてヒットした『春なのに』を歌った。
会場でも気づいたが、彼女は歌いながら少し泣いていた。
初めて出場できた喜びで涙する歌手がいるほど、その頃の紅白は特別な番組だったのである。

白組は秀樹のあと、野口五郎(『19:00の街』)、郷ひろみ(『素敵にシンデレラ・コンプレックス』)と続く。
“新御三家”と呼ばれ、安定した人気を誇る3人が揃い踏みし、しかもトップから畳み掛けるように連続して登場したので、会場のボルテージが一気に上がった。

元気いっぱいの郷ひろみは、サビに入る直前のところで垂直に高くジャンプした。
あとで録画を確認すると、テレビではその音を拾っていなかったが、会場には着地したときの、床がドン!と鳴る音が響いたのをよく覚えている。