ドイツ戦「衝撃の番狂わせ」の意義
マンガ「キャプテン翼」で、主人公・大空翼の終生のライバルとして描かれる若林源三は、小学校卒業後に西ドイツ(当時)へと渡り、ハンブルガーSVに加入。彼の地で研鑽を積み、成長を遂げている。
バイエルン・ミュンヘンでもなく、ボルシア・ドルトムントでもなく、ハンブルガーSVとは若林くんもずいぶん地味な選択したものだが、ハンブルガーSVは1983年にUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制し、ヨーロッパ王者にもなった名門クラブ。マンガが描かれた当時の時代背景が影響していたことは間違いない。
今でこそ、日本ではスペインのラ・リーガや、イングランドのプレミアリーグが人気だが、1980年代以前にさかのぼると、日本で最も有名なヨーロッパのリーグは、西ドイツのブンデスリーガだったのではないだろうか。
南米といえば、ブラジル。ヨーロッパといえば、西ドイツ。そんな時代が確かにあった。
キャプテン翼のなかで、翼くんがサンパウロへ、若林くんがハンブルグへと渡っていることは、その証拠だろう。
実際、日本サッカーはドイツから大きな影響を受けてきた。
「日本サッカーの父」と称されるデットマール・クラマー氏が、ドイツから来日したのは1960年のこと。4年後に控えた東京五輪へ向けた日本代表強化のため、日本サッカー協会から指導者として迎え入れられたのだ。
その後、東京五輪でベスト8、続くメキシコ五輪で銅メダルと、日本代表が右肩上がりで強くなっていくなかでクラマー氏が果たした役割は、伝説的とさえ表現していいほどに大きかった。
また、Jリーグ初代チェアマンである川淵三郎氏は、日本代表選手としてドイツへ遠征した際、「スポーツシューレ」(国内各地にある総合スポーツ施設)に広がる何面もの芝生のピッチを目の当たりにし、強い衝撃を受けたという。
地域密着を掲げ、今年30年目を迎えたJリーグの理念もまた、ドイツに学んだものだと言ってもいいのかもしれない。