二度目の握手:「もっと嬉しそうな顔をしろ」

二度目の握手は、私が『ネットと愛国』(講談社)で講談社ノンフィクション賞を受賞したときだった。晴れやかな席で、佐野さんに「安田君、もっと嬉しそうな顔をしなくちゃダメだよ」と叱られた。

へそ曲がりの私は喜ぶべき時に喜ぶこともできず、つまらなそうな顔を見せてしまうことが多い。

「安田君は労働運動や在日外国人など、地味だけど大事なテーマを追いかけてきたんだ。だからこそ、もっと喜ばなくちゃ。それが、取材に答えてくれた人たちへの最大の恩返しでもあるんだよ」

佐野さんにしては、なんとも常識的な言葉だった。そして、「ほんと、よくやったよ」と言いながら私の手を握ってくれた。

鼻の奥がツンとした。急いでトイレに駆け込んで、顔を洗った。佐野さんの一言は賞金よりも嬉しかった。初めて認めてもらえたような気がした。ちゃんと見てくれているんだと思うと泣けてきた。

講談社ノンフィクション賞受賞式後の二次会会場で。左から佐野眞一氏、安田浩一氏
講談社ノンフィクション賞受賞式後の二次会会場で。左から佐野眞一氏、安田浩一氏

そんな佐野さんにも蹉跌はあった。

2012年、橋下徹元大阪市長を題材とした『週刊朝日』の連載記事は、部落差別を助長させるものだったために抗議が相次ぎ、連載は初回のみで中止となった。当然の結果だったと思う。

出自を根拠に人格を否定することなど、あってはならない。日本社会に根強く残る被差別部落への偏見と差別に対する理解がなさすぎる。はっきり述べておきたい。私は絶対に許容できない。

差別の不条理を訴え続けている私としては、こればかりは何の擁護もできなかった。いや、擁護すべきでないと思った。「配慮」の問題ではなく、明確な差別として責任を問われなければならない。

その後も、「盗用問題」などが明らかとなり、佐野さんは「ノンフィクションの巨人」の座から引きずりおろされた。

たぶん、佐野さんは大きくなりすぎていた。「巨人」と呼ばれ、「先生」と呼ばれ、そこから降りることができない場所に持ち上げられてしまったのではないかとも私は考える。

佐野さんはそこに安住していなかっただろうか。鱗粉は、果たして佐野さんの手指に付着していただろうか。