そして彼ら革命家はまた、異文化の伝え手でもあった。
ボース氏は来日当初、保護してくれた新宿中村屋の創業者・相馬夫妻にカレーを振る舞ったそうだ。これをきっかけに中村屋は純印度式のカレーを発売することになる。1927年のことだ。イギリス経由で伝わった小麦粉メインのものではなく、スパイスをたっぷり使った本場インド直伝のカレーだった。これが大評判となり、日本にカレー文化が広がっていった。
またナイル氏は1949年、日本初のインド料理店「ナイル・レストラン」を東京・銀座にオープン。
そしてミグラニ氏は、かの東京裁判も取材したが、1951年にジャーナリストから貿易商に転身するのだ。
「インド独立を機にひと区切りし、インドの文化を日本に伝えようと始めたんです」
インドアメリカン貿易商会を設立し、スパイスのほか、当時の日本ではまだ少なかったアチャール(インド風の漬物)やマンゴーなどインド食材の輸入を手がけた。もちろん取引先のひとつは「ナイル・レストラン」をはじめ、日本で少しずつ増え始めたインド料理店だ。ミグラニ氏は日本におけるインド食文化の黎明期を、食材の面で支えた存在なのである。
9月30日はクミンの日。日本のスパイスカレーブームの背景にはインド独立の志士の姿が
9月30日はクミンの日。エジプト原産のスパイスだ。このクミンなどのスパイスをふんだんに使った「スパイスカレー」の人気は高まるばかりだが、ブームの立役者のひとりがシャンカール・ノグチさん(49)だ。インドアメリカン貿易商会の代表としてスパイスの輸入を手がけている。そして彼の祖父は、実は日本とインドの外交史に重要な役割を果たした人物だったのである。
日本の中のアジアを旅する#11
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「三代目」を継ぐ決意