考える前に体が動くように
––ある研究者の方から、「柔道という競技は、頭で考えていては遅い。考える前に体が動かないと対応できない」という話を聞いたことがあります。
まさにその通りだと思います。なので、日頃の練習の中で、いろいろなシーンを想定して体が反射的に動くように取り組んでいます。試合中に考えていたら、絶対に遅れをとってしまうので。
––すると、柔道選手というのは、試合中は無心なのですか。
いや、相手がこうきたらこうする、というのは最終的には頭で判断していると思います。また、試合が中断したり、寝技をかけているときには、その後の展開について考える時間があります。でも、立って相手と組み合っているときには、反射的に「こう、こう、こう」とオートマティックに動けるようにトレーニングしています。時々、自分自身が想定していない動きをすることもありましたよ。
––そのときは、良い結果に繋がるものなのですか。
うまくいくこともありましたが、もちろん課題として残ることもありました。いずれにしても、選手特有の面白い感覚だと思います。
––選手に求められる反射的な感覚と、現場の指導者として想定外の事態に対応する際の感覚。これは共通するものですか。
一緒ですね。練習や試合の前後に選手たちと話していても、感覚を重視する発言は多いです。だから指導する立場の人間として、選手の感性、感覚を大事にしてあげたいと思っています。
そして、これが大舞台で必要になると私は思っています。指導者としては、選手をいろいろなところへ導いてあげることも大事ですが、最終的には、主体性のある、自立した選手を作っていくのが理想ですね。
––リオオリンピック後に全柔連強化委員長となった金野潤さんが井上さんの指導現場を見て、「道場が静かなことに驚いた」とコメントされていたのが印象的でした。選手に対して怒鳴ったり叱ったりということは少ないのですね。
リオオリンピックの後には、いろいろなものがすでに構築されてきて、余裕があったということでしょう。なので、叫びながら何かをする必要はなかったです。
––一般的に、選手を罵倒したり怒鳴ったりする指導者は、指導に関する知識が足りず、それを補うためにそういう行為をする傾向があると言われます。
そういう考えもあると思います。ただし、私も必要なときには、練習内容を強調するなど、強弱はつけてきました。冷静な人間に見られることが多いですが、もちろんそういった側面だけではない。試合後に涙を流したり、喜んだりもしました。
ただし、危機的な状況でも、焦りや怒りは自分の中でコントロールするようにしてきました。特に試合前は、冷静なふりをしていましたね。