“朝日新聞も私も「傲慢罪」という罪に問われているのだ――”
こんな印象的な書き出しから始まるノンフィクション『朝日新聞政治部』(講談社)が注目を集めている。早くも累計5刷・4万8千部を突破し、「2022年 Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」へのノミネートも発表された。
同書を上梓した鮫島浩氏は新聞をはじめ、現在のメディア状況や政治報道をどう見ているのか。そしてこれからの活動の展望とは? 注目のインタビュー、後編をお届けする。
新聞社は一度滅びた方がいい
――率直に伺います。これからの新聞が何らかの形で魅力化を図ったり、方針転換を試みたりすることで生き残っていくのは難しいと思いますか?
鮫島 紙媒体に関して言えば、もう無理でしょう。大抵の方が感じていると思いますが、日々のニュースを伝える媒体として、紙という手段ではネットにはどうやっても勝てません。
まず、スピードでは絶対に無理。紙の新聞ではどんなに頑張っても、前日に起こった出来事を翌日に報じることしかできない。
さらに内容、深さの点でも無理なんですよ。ネットだとグラフが表示できたり、映像が流せたりするけど、紙だとそれもできない。つまり、早さも深さも幅広さも劣る。関連情報に飛ぶこともできない。これではもう、「ニュースを伝える」という機能ではネットに負けるしかないんです。
いま新聞だけを読んで世の中全部を知る人なんていないですよね。ちなみに私、辞めて1年が経ちましたが、朝日新聞は読んでいません(笑)。でも何も困らない。いまでは色んな情報に接しながら自分の頭で考えていますね。インターネット上には情報がタダで存在しているから、情報収集能力があれば困ることはありません。
それなのに、いまだに新聞は「新聞さえ読めば文学から人生からスポーツから芸能まで、全世界のことがすべてわかる」というつくりをしています。結果、どれも中途半端なんですよ。そんなものに商品価値がありますか?
紙媒体の良いところは何度も読み返してもらえるとか、読んで感動したらしばらく飾っておいてもらえるとかいった点にあります。本だと「だいたい何ページのあの場面」といった分量的な感覚も記憶に残りやすい。そういう物体ならではの効果があるので、本はある種の高級品として残ると思うんですよ。
でも、それは本だからこその話。デジタル情報と違って思いを込めたり、自分で色々と書き込みをしたりして、読んだ跡が刻まれる。そういう形で個々の人にとって「大事な一冊」というのは残ると思うけど、日々のニュースはそんなことあり得ないですよね。
――新聞社の中で蓄積されている取材のノウハウや裏取りの技術などは、ネット時代でも重要なスキルだと思うのですが。
鮫島 僕もそう思います。新聞という媒体はいずれ滅びると思うけど、ジャーナリズムは滅びないでしょう。何らかの形では残っていかないといけないし、恐らく残るはずです。
いまのところ、少なくとも日本社会ではジャーナリズムのかなり多くの部分を新聞が担っているのは事実です。その取材のノウハウや経験、蓄積にしても、悪い部分も含めて、新聞社が一番持っている。
個々の新聞社や記者が持っているノウハウをオープンにして、社会に共有して、ジャーナリズムを新しい形で発展させていこうと動いているならば、まだ頑張って欲しいと思います。でも、いまの新聞社はジャーナリズムをなんとか再建しようとか、弱ってきてしまったジャーナリズムをこれからもう一度強くしようというところに力を入れてはいません。
むしろ、もはやビジネス的に終わっている新聞媒体を含めた「新聞社経営」をなんとか盛り返すために、必死で喘いでいる状態です。結果的に、財産である取材ノウハウを痛めつけ、記者の活動や自由を奪い、管理・統制を強めながら、なんとか新聞社経営を維持して「延命」を図ろうとしているという最悪の状況なんですよ。
自分の生き残りばかり考えて、首を絞めているくらいなら、もう新聞社が日本社会に存在する意味は無い。むしろ害悪です。いっそのこと早く潰れてしまって、新聞社という枠組みの中で自由を奪われて苦しんでいる人が野に放たれてしまった方が良いんじゃないですか。
それぞれの記者は生活が大変になるかもしれないけど、一度そこまで追い込まれてしまった方が、日本のジャーナリズムは再活性化して一挙に元気になる可能性があると思います。
いまは正直、ネットメディアの方が頑張っているけど、やっぱり質という点で見れば新聞記者の方が情報や経験を持っています。でも、彼らは新聞社という枠組みに縛られていて自由に書けない。本当にもったいないんですよ!