通算対戦成績はまさかの…
7月19日=リキ・スポーツ・パレス(30分1本勝負)は17分21秒、体固めで馬場の勝ち。
7月28日=静岡・三嶋大社境内(45分3本勝負)は2-1のスコアで馬場の勝ち。
8月3日=大阪・岸和田市港広場(45分3本勝負)は2-1のスコアで馬場の勝ち。
8月9日=東京・足立区立体育館(20分1本勝負)は10分26秒、体固めで馬場の勝ち。
8月6日=リキ・スポーツ・パレス(45分3本勝負)は2-0で馬場のストレート勝ち。
9月4日=愛知・刈谷市営球場(45分3本勝負)は2-1のスコアで馬場の勝ち。
9月23日=秋田・大曲市営競技場(30分1本勝負)は14分5秒、体固めで馬場の勝ち。
9月28日=福島県営体育館(30分1本勝負)は11分55秒、体固めで馬場の勝ち。
最後のシングルマッチとなった10月2日=栃木・足利の月見ヶ丘体育館での20分1本勝負は12分0秒、体固めで馬場の勝ち。
4試合おこなわれた45分3本勝負のうちの3試合では猪木が1フォールをスコアしたという記録が残っているが、どういった技を使って猪木が馬場から3カウントのフォールを奪ったかははっきりしない。結果的に両者の対戦成績は馬場の16勝0敗という圧倒的な数字だけが残った。
全16回の対戦のうちの2試合がおこなわれたリキ・スポーツ・パレスは、力道山が総工費15億円(資料によっては30億円)を投じて東京・渋谷に建設した”プロレスの殿堂”で、1960年(昭和35年)2月に着工して1961年7月に完成。地上9階地下1階のドーム型ビルの3階から5階が収容人員2000人(資料によっては3000人)の吹き抜け式アリーナになっていて、テレビ中継収録用としても使われたが、残念ながら馬場と猪木のシングルマッチの試合映像は残されていない。
馬場は1963年10月、二度めのアメリカ遠征に出発。滞在先のカナダ・オンタリオで力道山の急逝を知ることになる。馬場と猪木が対戦相手ではなくタッグパートナーとしてリング上で再会するのは、それからさらに4年後の1967年(昭和42年)のことだった。
写真/gettyimages