〈ハラハラする本〉のイチ推しは新庄耕の『地面師たち』です。「地面師」とは土地取引にからむ詐欺師のこと。土地所有者になりすました売り手が買い手から大金をだまし取ります。新庄耕のこの小説は、2017年に起きた「積水ハウス地面師詐欺事件」をモデルにした作品。犯人側の準備周到なことに驚きます。企画立案者や売り手役の人材を探す担当者、売り手側の不動産屋や司法書士を演じる者など、何人ものチームで詐欺を働きます。
詐欺の手口の鮮やかさもさることながら、騙される側の事情を書き込んだところがいい。社内事情や家庭の事情など、判断を狂わせるものがあるんです。主人公の拓海は犯人グループのひとりですが、彼自身がかつて詐欺の被害者だったという人物造形もうまい。
逢坂剛『百舌落とし』(上・下)は「MOZU」シリーズの完結編。単行本刊行は19年です。第1弾となる『百舌の叫ぶ夜』の単行本刊行が1986年、エピソード0ともいうべき『裏切りの日日』は1981年刊ですから、40年近く書き継がれてきたことになります。
『百舌落とし』は引退した政治家、茂田井が殺されるところから始まります。しかも死体は両目のまぶたの上下を縫い合わされている。殺し屋百舌の手口です。すでに現役を退いている茂田井を殺す目的は何なのか。警視庁を辞めて探偵となった大杉、彼の娘で警官のめぐみ、警視庁監察官から公共安全局に出向中の倉木美希が百舌に挑みます。
圧巻は茂田井の政敵、三重島の別邸地下室での対決です。たいていのエンタメ小説では主人公は死なないことになっているんですが、逢坂さんは人気のある登場人物も容赦なく殺しちゃいますからね。最後の最後まで気を抜けません。
〈じっくり浸る本〉では、まず金原ひとみ『アタラクシア』を推しましょう。翻訳家の由依、シェフの瑛人、パティシエの英美、作家の桂、編集者の真奈美。アラサー、アラフォーの彼らは、他人から見ると恵まれた生活をしています。美しく、それなりの収入や名声もある。だけど満たされない。由依は不倫をやめられない。英美はいつもイライラしている。桂は空虚さを抱えている。こうすれば幸せになれると信じて走ってきたのに、もしかしたらルートを間違えていたかも、と彼らは自分のいま・ここを疑い、確信を持てなくなっています。状況はまったく違うけど心情は同じ、という読者も多いのではないでしょうか。渡辺淳一文学賞受賞作。
中国出身で世界的アーティストの蔡國強。福島県いわきの実業家、志賀忠重。川内有緒『空をゆく巨人』はふたりの友情を描きます。いや、友情なんていう単純なことばでは表現できません。ポイントは志賀がコレクターでも美術愛好家でもないこと。でも偶然出会ったまだ無名の蔡に関心を持ち、蔡のアートプロジェクトを支援し、参加するようになります。アートというものの力を感じます。
美輪明宏『乙女の教室』。乙女とは「乙な女」、つまり「いい女」のことだと美輪明宏はいいます。「心をこめて挨拶をしましょう」「恥ずかしいことはやめましょう」「毎日を上手に反省しましょう」「恋上手になりましょう」など、24の課題と秘訣を紹介。著者へのQ&Aや「美輪語辞典」もついてます。カバンの中に入れておくべし。プレゼントにもいいかも。
江國香織『彼女たちの場合は』(上・下)は愉快なロードノベル。14歳の礼那と17歳の逸佳、いとこ同士の女の子ふたりが、アメリカ大陸横断の旅に出ます。親たちには内緒で。大冒険! ひとつ仕掛けがあります。アメリカ暮らしの長い礼那は英語に不自由しないけれど、日本から来たばかりの逸佳の英語はまだまだ。現地の人々とのコミュニケーションについては礼那がリードします。さあ、ふたりはどんな旅をするのでしょう。
最後にどうしても推しておきたいのが『琉球建国記』です。沖縄は近代まで王朝を持ち、独自の文化を築いてきました。矢野隆のこの小説は15世紀、琉球王国の黎明期を描いた書き下ろし歴史長編。悪を倒し、活発な交易で人々に富をもたらす阿麻和利たちと、彼らに脅威を感じる国王・尚泰久および側近の金丸。陰謀と動乱の幕開けです。
集英社文庫<ナツイチ>読みどころを書評家、永江朗さんが解説!
今年のナツイチ、わたしの個人的な推し作品をご紹介します。
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