ブレイク終焉後の「逃亡期間」から現在まで
――ブームはどれくらい続いたんですか?
僕は“2005年担当”です。一発屋って基本的に1年しか担当できないんですよ。もちろん僕としては永遠に走り続けるつもりだったんですけど、そこに小島よしおが現れたので。
――小島よしおさんが出てきたときは、率直にどんなお気持ちでしたか?
いやもう、衝撃でしたね。僕も半裸芸人として、真冬の凍った湖の上でかまくら作ったりとか、体を張った寒いロケをかなり頑張っていたんですけど、小島よしおは海パン一丁で“最低限の面積”。もう僕のほうが厚着に見えるくらいで(笑)。
それであのハイテンションで「おっぱっぴー」「ウェー」っていう、わけのわからないギャグを繰り出してくる。見事にバトンを持っていかれましたね。
――ブーム終焉後はどのように過ごされていたんですか?
今でこそ胸を張って「どうも! 2005年担当の一発屋です」って言えるんですけど、仕事が減ってくると『あの人は今』みたいな“一発屋くくり”の仕事が来始めるんですよ。でもやっぱり認めたくない。だからまずは断るんです。それは“一発屋あるある”で、僕らはこれを「逃亡期間」って呼んでます。
――その「逃亡期間」から、どうやって抜け出したんですか?
かつて一発屋と言われて数年間潜伏していた有吉弘行さんが、あだ名芸で再ブレイクし始めた頃に「最近の一発屋事情」という企画に声をかけてくれたんです。僕は有吉さんが大好きだったので、「有吉さんがやる企画なら行ってみよう」と思って、初めてそういう“一発屋くくり”の仕事を受けました。
――実際に現場に行ってみた感想は?
現場行ったら、ダンディ坂野さんや長州小力さんとか、僕と同じ境遇の人が楽屋にいっぱいいて、すごくホッとしたんですよ(笑)。
――まさに安心感のような?
そうですね。「俺ずっと独りで走ってたけど、仲間おったんや」みたいな感じで(笑)。気持ちがすごく和らいでから、“一発屋くくり”の仕事も徐々に受けるようになりました。
――その後、一発屋同士の交流はあったんですか?
衝撃的だったのは、2007年担当のムーディ勝山が、2008年早々に「自分は一発屋である」と認めて、自虐ネタを始めたことですね。そんなムーディから「HGさん! 一緒にイベントやりましょうよ」って誘われて、「一発屋再生工場」というイベントを、僕とムーディとレギュラー(2004年担当)、三瓶(2002年担当)の5人で始めたんです。
――すごいですね!
そこから一発屋仲間が増え始めて、今では総勢40人ぐらいの「一発屋LINEグループ」があります。
――そんなLINEグループまであるんですか(笑)。
発起人はムーディ勝山で、会長はダンディ坂野さん。メンバーには、クールポコや髭男爵、スギちゃん、ゆってぃなど、事務所の垣根を越えて集まっています。今では「一発屋総選挙」や「一発屋紅白歌合戦」、「一発屋運動会」といったイベントも展開していて、そうした活動を通じて「我々は一発屋のバトンをつないでいます」って胸を張って言えるようになりました。
でも、いまだにひょっこりはんだけは、いくら誘ってもLINEグループに入ってくれないんですけどね(笑)。
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取材・文/木下未希 撮影/村上庄吾













