柿の木に縄かけて

その翌日、すぐに訪問診療が始まった。10時半、可愛らしい小さな車が着く。《ヴォーリズ記念病院》とサイドに書かれてある。

奥野医師と看護師の二人。小森さんも立ち会いに来てくれた。医師は、きょろきょろと周りを見て、「広い、気持ちいいおうちですねー」と言った。椅子と小さなテーブルを用意し、医師が母の隣に腰掛けると診察室の雰囲気となった。

本来なら、元気なら、この家に来た新しい客人にはお茶とお茶菓子を出し、ゆっくりと家族写真などを見せ始めるひいちゃん。お帰りのときには残ったお茶菓子を半紙にくるくるっと包んで手渡す人だが、もうそんな余裕はない。余裕はないが「やっちゃん、お茶淹れて」は言う。

「ほんまにもうすみません……こんなおおごとになってしもて」
「そんなことないですよ」と笑顔の医師。母に目を合わせ、繰り言に耳を傾けてくれる。

「先生、もうねえ、苦しくて苦しくて、夜も寝られしませんし、うつらうつらしてて、自殺のことばっかり考えてるんです。そこに柿の木があるでしょ。あれに縄かけて首くくって死ぬ……そんなことばっかり思て」

「そうですか」奥野医師は窓の外の大木を見つつ、「困りましたねー、そこの木の枝ずいぶん高いですよ。澤田さん、ずいぶんおっきいハシゴいりますよ。ムリやわ。それにねー、そんなんしたら一生懸命応援してる息子さんもご家族もみんな、残された人たちがほんまにかわいそうですよ」

「……そうですか、そうやね」と久子は力なくうなずく。
「でも、なんとか死なしてほしいんです。先生なんとかしてください」
「はい。なんとかしたげたいんですけれど、言うとおりにしたら、私、手錠かけられてしまうんです」

実際、そういうニュースもあったなあ。

多忙であろうに、ゆっくりと相手をしてくれる。そこが大勢の患者が次々待つ、一般の病院・医院と違うところだろう。久子は銀行のATMや、スーパーのレジで背後に人が立つことさえそわそわ、落ち着かなくなるタイプなので、訪問診療や、こういった医師の応対はとてもありがたいのでは?

「大丈夫です」と医師は何度も繰り返す。「苦しかったらもっと強めの薬で緩和しますし、身体がもうあかんわとなったら、自然と眠りに落ちるようにできてますから。呼んでもらったらすぐ駆けつけますし。心配しないで」

QOLは、たった一週間ほどでツーランクほど落ちた。ごはんがノドを通らない。そもそも食欲がない。「なんとか」と無理に口に運ぶのがお粥少量。あとはときおりゼリー、シャーベット。フルーツを好む。カットスイカ、イチゴ、イチジク、ブドウ、ミカン等々を少しだけ。そのときそのときで何を好むかわからないので、いろんな種類を買ってある。

医師が出たあと、「ガリガリ君」パイン味を少しかじった。本日の好みは甘酸っぱ系。