こちらこそありがとう

日が落ちた。胸の痛み、苦しさをうったえるので、新たに処方してもらっていたレスキュー=麻薬系の坐薬「アンペック」10㎎を夜九時半ごろ投与。母は私に頼まず、トイレに行き、自分で処方した。

このレスキューが母には激烈な効き方をしてしまったのである。効き過ぎた。
「あかん!」30分ほどで母が叫んだ。

「しんどい、目が回る、頭がぐるぐるする! あかんあかん。こわいこわい‼」
大声を出した。ジェットコースターに乗っている感じだろうか。ものすごい恐怖に捕らわれているようだ。

思えばブランコでさえ苦手な母であった。吐き気も続くなかで、ずっとうわごとのように、この強い薬を身体に入れてしまった後悔を繰り返した。

「しもた」「しもたことした」「せなよかった」「あほやった」
後悔ばかりを口にする人に「お酒飲み過ぎて酔っ払った感じ?」と訊いてみる。

「……酔っ払ったことなんかないからわからへん」そうかあ! 94年も生きてきて、酔っ払ったことがないとは。あなたの息子は天井がぐるぐる回転する建物に、何回でも何十回でも遭遇しましたけど。

吐きそうになるので横(正確には斜め)になれない、眠くても眠ることのできないつらさもあって、起き上がる。ベッドに腰掛ける。脇に洗面器を置いて、ときおりげえげえと吐こうとするが、何も出てこない。それは苦しい。

「背中に手、当てて」うしろに回り、壊れものに触れるように手を当てた。ぴたり、じっと。母は腰掛けたまま動かず、起きてるんだか寝ているんだか。狭いベッドで真うしろから、右手左手と換えながら、背中に当て続けるのはけっこう難しい。母親の身体にこんなに長く触れることなんてなかったな。

東京から来た孫の龍彦と。著者撮影
東京から来た孫の龍彦と。著者撮影
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時間が流れ、少し落ち着いてきたようだ。
「あーつらかった」とつぶやき、久子はやっと横になった。そのうしろで私も横になった。

「ありがとうね」母の耳元で言ってみた。本当にそう思ったのだ。「これまでありがとう」

すぐに、「こちらこそありがとう」そう返してきた。静かになり、しばらくして、ひいちゃんは「抱いて」と言った。背後からぎゅっと抱いた。

文/澤田康彦 
 

『この家で死にたいと母は言った 親を自宅で看取るということ』刊行記念トークイベント
日程|2026年5月31日(日)
会場|京都・徳正寺(四条富小路下ル)
詳細・ご予約「メリーゴーランド京都」https://www.mgr-kyoto2007.com/event

この家で死にたいと母は言った 親を自宅で看取るということ
澤田 康彦
この家で死にたいと母は言った 親を自宅で看取るということ
2026/4/24
1,980円(税込)
272ページ
ISBN: 978-4797674804

「大切な人をどう送るか」「しあわせな最期とは?」を問いかける感動作!!
『暮しの手帖』元編集長・澤田康彦による「在宅死」を選んだ母と息子の、やさしくてあたたかい別れの記録


【特別寄稿】「本当によかったね。」本上まなみさん(著者の妻・俳優)収録

ある日、実家(滋賀県東近江市)でひとり暮らす九一歳の母(愛称ひいちゃん)がステージ4のがんと宣告された。「まあまあ元気」と思っていた母の命のカウントダウンが突然始まった。
「自分の家がいいんよ、どこにも行きたくない……」。住み慣れた家に最期までいたいと遠慮がちにつぶやくひいちゃん。在宅医療? 緩和ケア? 介護保険制度? 知識のなかった息子は「いっぱいいっぱい」になりつつも訪問看護師、ホスピス医、ヘルパーの力を借り、家族や友人を巻き込んで母に寄り添い続ける――。
母との二人きりの時間、残されたノートやアルバムを通して、昭和・平成を生きた人の人生が浮かび上がる。

【本文より・1】
彼女のラストの三年間は、死に向かう絶望、悲嘆にくれる三年ではなく、生そのものの年月だった。
母と私たちはよくしゃべり、よく食べ、飲み、笑って、泣いて、口げんかもし、たくさんの人を家に迎えた。
がんの宣告がなければ、母と息子がここまで深く交わることはなかっただろう。
母と私たちに与えられたのは、三年間の、文字通りの「長いお別れ」の時間だった。
【本文より・2】
「使える制度をみなさんあまり知らないんです。介護や看護の力が必要な本人やご家族が、それを知らないばかりに自分たちだけでがんばっているということが多い」(福祉用具専門相談員)
わかる! 今回私はまさにそれに直面した。
複雑な制度を知ろうとする力、意欲が必要とされる。個人差も大きい。家庭環境差、地域差も。技術、体力、知識を要する。予算も。正解が見えない。別れの日までの所要時間も。

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