芝浜におびえる

久しぶりの、自由な夜だった。風呂にゆっくり浸かれたし、広くて明るい部屋で本も読めた。

妻と交わす言葉、娘の寝顔。すべてが懐かしく、温かかった。

心も体も満たされて、布団に横たわった私は、落語の「芝浜」を思いだしていた。

魚屋を営む主人公は、ある朝、仕入れに向かう途中で大金の入った財布を拾う。大喜びした主人公は、仕事もそっちのけにして家へ戻り、祝杯を挙げて酔いつぶれてしまう。翌朝、妻に財布はどこかと尋ねると、「そんなものはないよ。夢でも見たんだろう」と告げられる。

物語には裏があるのだけれど、目の前にあった幸福が夢だったと告げられる、その喪失と衝撃がポイントだ。その話と同じことが、自分の身にも起きるのではないかとなぜか感じられ、心配になってきた。

写真はイメージです(写真/PhotoAC)
写真はイメージです(写真/PhotoAC)

せっかく家族と再会でき、自由をとり戻したと思ったのに、翌朝目覚めてみたら、また横浜プリズンのせんべい布団の上にいる。看守に「家族はどこへ行った? 自分はどうしてここに?」と尋ねると、「夢でも見てたんだろう。保釈は取り消されたじゃないか」と告げられる――。

そんなわけはない、変な想像はやめようと頭を振る。保釈されたのは現実だ。妻と娘は隣にいる。腕をぎゅっとつねってみれば、ちゃんと痛みもするじゃないか。

それでも、ひょっとしたら……と、一抹の不安は消えなかった。自分でもおかしいとわかっているけれど、それくらい、横浜プリズンの生活が日常の感覚を奪ってしまっていた。

夜10時には眠気が勝ち、気づけば眠りに落ちていた。翌朝、目覚まし時計よりも早く目が覚めた。

おそるおそる、周囲を見わたす。薄暗いけれど、部屋の天井は高く、広い。布団もやわらかい。隣に妻と娘もいる。そっとカーテンを開けると、朝日が射しこんでくる。横浜プリズンなら、陽の光は入ってこない。

写真はイメージです(写真/PhotoAC)
写真はイメージです(写真/PhotoAC)

――ちゃんとわが家にいる。

やっと確信がもてた。保釈されたことも、家族とまた暮らせることも、夢なんかじゃない。

わかっていたはずのことなのに、朝日を浴びた瞬間、胸の奥から安堵があふれる。陽の光には、やはり、不安を吹きとばす力があった。