罪滅ぼしと恩返し
保釈された翌日から、私は新しい生活を始めた。まず、家事と育児を大幅に引きうけるようになった。
事件に巻きこまれる前は、自由奔放に働き、育児はほとんど妻に任せきりだった。そんな自分勝手な生活をしていたにもかかわらず、横浜プリズンにいる間、妻は毎週のように差入れを続けてくれた。
その優しさに応えたい。保釈されたら、せめてもの罪滅ぼしと、恩返しをしたいと考えていた。
その機会がようやく訪れたのだ。保釈された日の晩、私は妻に、明日から娘の保育園への送り迎えは私がやると申し出た。妻も快諾してくれた。
こうして翌日から、保育園への送り迎えは基本的に私がすることになり、妻は時短勤務からフルタイム勤務に復帰した。
娘を保育園に連れていった初日の朝、保育士の先生は私を見て、とまどったような顔をしていた。0歳児クラスのときはほとんど送り迎えをしていなかったし、1歳児クラスになったこの4月以降も、昨日までプリズンにいた。
1歳10か月になる娘の父親なのに、その存在と顔を先生たちに知られていない。それが、家のことを妻ひとりに任せてしまっていたことの証だった。
それと同時に、私の顔は「事件の容疑者」としても認識されていないのかもしれないと思い、少し安心した。みんな、私が思っているほどには、事件のことを知らずにいるか、忘れているのかもしれなかった。
娘の送り迎えを担当するようになると、おのずと、帰り道に食材などの買い物をするようになる。その流れで、娘に夕飯を食べさせることや風呂に入れることも、私がするようになった。妻の帰りが遅い日には、娘の髪を乾かした後で歯みがきや寝かしつけをすることも、私がすることが多くなった。
一連の家事と育児をするようになってようやく、娘が生まれてからの1年10か月間、妻がほぼひとりでこれらを行っていたことの大変さを思いしった。
特に、私が横浜プリズンにいた8か月間は、義父の手助けがあったとはいえ、基本的にすべての家事と育児を妻ひとりに行わせてしまっていたのだ。あらためて、妻に申し訳なく思った。
罪滅ぼしと恩返しの道は長いな……と痛感した。
文/江口大和













