歴史は「役に立たない」「おもしろくない」という批判
日本の歴史教育は、長らく「暗記中心」の学習に偏りがちであり、体系的な理解や批判的思考を育む機会が限られてきました。
特に、世界史の教育は「日本史とは別物」として扱われがちであり、世界の歴史の中で日本がどのような位置にあったのかを学ぶ機会が十分に確保されていません。そのため、日本の歴史を客観的に捉える視点が不足し、国際的な出来事に対する理解や議論が深まりにくい現状があります。
日本の学校では小・中・高と歴史教育が行われていますが、歴史の授業は子どもたちにとって「覚えるだけで役に立たない」「おもしろくない」「難しい」といったイメージが根づいてしまっているように感じます。「難しい」と感じるのは仕方ない部分があるとしても、「おもしろくない」、さらには「覚えるだけで役に立たない」などと思われてしまっているのは問題です。
ではなぜ日本の歴史教育は役に立たない、おもしろくないと思われるような科目になってしまっているのでしょうか。歴史教育について考えていきましょう。
神話(建国の歴史)が教科書から省かれている理由
まずは「覚えるだけで役に立たない」という問題から見ていきましょう。日本の学校の歴史教育では、原始・古代・中世……と教科書の順に従ってしっかりと教えるのが一般的です。たしかに歴史のつながりを認識するにはよいのですが、そうなってくると次のような問題が出てきます。
・「原始・古代」から順番に学ぶため、「近代・現代」を学ぶ時間が足りなくなりがち
・そもそも日本で教えられる古代史は本来の古代史ではない
原始・古代といった時代を教える方が、先生にとっては気が楽です。こういった時代を教える際には、比較的ではありますが「配慮の必要がない」からです。
たとえば仮に聖徳太子の批判をしたとしても、源頼朝を貶める言い方をしても、怒る人はほとんどいないでしょう。ところが現代史になると話は別です。もっともわかりやすいのは安倍晋三元首相でしょう。
安倍元首相を褒め称えれば、賛同する人も多くいるでしょうが、その一方で反発も高まるでしょう。子どもたちは受け入れたとしても、保護者からクレームがくるかもしれません。そのため、肯定的に語っても否定的に語っても、反発が出る可能性が高いのです。
そうなると先生としては無難に済ませたいので、現代史を避けたいという思いが強くなります。
「学校では古代史をずっとやっていて全然終わらなかった」という声をよく聞きますが、それは「古代史にこそ学ぶべきことがある」といったポジティブな意味で指導をされている先生もいるでしょうが、実は「現代史を深くやりたくない」という事情もあったりするのです。
また、そもそも現在の学校で行われている古代史は、本当の意味での古代史ではありません。これは「歴史学」ではなく「考古学」なのです。
歴史とは「文献の記録から過去を読み解くこと」です。そう考えると、石器や土器、銅鐸などから学ぶ縄文時代・弥生時代は考古学であり、歴史学ではないのです。
では、現在の縄文時代や弥生時代の範囲では、何を学ぶべきなのでしょうか。













