歴史を語る上で「神話」が必要な理由
それは「建国の神話」でしょう。伊弉諾尊・伊弉冉尊の国生み神話から始まって、天照大神・素戔嗚尊と続き、そして神武天皇に至るといった話をした上で、飛鳥、奈良、平安時代へと続いていくのです。しかし、現在の日本の学校では神話(建国の歴史)が省かれているのです。
戦前の歴史教育はこのようなものでした。ではなぜ、現在の形に変えられてしまったのでしょうか。その答えは、GHQの占領政策にあります。GHQが日本を占領した際、プレスコードや教科書検定基準が定められました。
プレスコードとは、新聞・出版検閲の基準のことです。これに基づき、占領軍に対する批判などの禁止と新聞や出版物の検閲が定められました。またその後、ラジオに関してもラジオコードという基準が定められています。
さらに教科書については教科書検定基準が採用されました。これは「国体」「国家」「我が国」のような愛国心につながる語は使用禁止、日本の神話・神社に関すること・国民から尊敬される天皇や皇族の歴史を教えることなどの禁止を定めたものでした。これによって仁徳天皇の「民のかまど」や昭和天皇がマッカーサーと対峙したときの逸話などが削除されてしまったと言います。
それ以外にも神道指令によって国家神道の廃止などが定められただけでなく、「大東亜戦争」「八紘一宇」といった言葉も公文書における使用が禁止されました。また、皇室・国体・天皇・神道・日本精神といったテーマの本が、およそ7000~8000冊、焚書となりました。
つまり、現在のこういった歴史教育の方針は、GHQの占領期の方針がそのまま継続しているということになるのです。
歴史の授業に神話を入れられなくなったため、新たな教科書をつくる際、当時の教授らが検討を重ねました。そしてその結果、考古学の要素を採用したのです。考古学で古代史に代用し、そして徐々に歴史学に移行していく形を採ったのです。だから縄文時代・弥生時代のあたりは、それ以降の歴史と比べて異質な印象を受けるのです。
もちろん、考古学が不要だと言っているわけではありません。考古学から学べることもたくさんあります。ただ、日本だけがおかしな状況になってしまっている、そしてそれは戦後ずっと続いている、しかも日本人の意図したものではなかった、ということを理解しておく必要があります。
その上で個人的には、原始・古代に関しては、考古学的な側面と神話の併記、少なくとも神話をコラムとして入れ込む、そういったことは必要だと考えています。
たしかに神話を歴史で教えるとなると、「神話は歴史的事実ではない」「創作であり非科学的だ」といった批判が噴出しそうです。しかし他国では問題になることもなく教えられているのです。日本神話を禁じた張本人であるアメリカでは、『聖書』をきちんと教えています。
州法により公立学校で『聖書』の授業を義務化している州もあります。中国の教科書も三皇五帝から始まりますし、韓国でも檀君から始まります。イランでは民族神話を含む叙事詩『シャー=ナーメ』が教えられているといいます。
文/土井昭 写真/PhotoAC













