2020年代…推しと課金の時代
自分の「推し」(他人にすすめたいほど気に入っているアイドル、俳優、アニメキャラ、スポーツ選手、動物など)を応援する活動を指す「推し活」は、2010年代からSNSの普及に伴って広まっていったが、2020年代に入り「推し文化」として社会的に根付くことになる。世代を超えて、ライブやイベントへの参加、グッズ購入、SNSでの情報発信や交流、聖地巡礼など、様々な方法で「推し」に対して応援・課金することが一般化する。
一見すると、「推し」は恋愛に近い行為に思えるが、実際は似て非なるものである。「推し」は偶像崇拝に近い、一方通行の好意である。現実にデートできる相手や、LINEをやり取りできるような相手は、「推し」の対象にはなり得ない。
推す側と推される側の間には、相互的なコミュニケーションがないのだ。ある意味で型にはまった関係性であり、関係性を維持する手段も「課金」というシンプルかつ明瞭な方法なので、現実の恋愛や結婚に比べれば、圧倒的にコスパが良い。言うなれば、恋愛や結婚の美味しいところだけを課金して味わえるようなものだ。
こうした推し文化が広まる中で、恋愛や結婚の立ち位置はどんどん危うくなっていく。恋愛関係は、友人関係や家族関係とはまた異なる関係性であり、それを形成し維持するためには、独特の知識や作法、そして弛まぬ努力や気遣いが求められる。推し活とは異なり、「せっかくだからやっておこう」程度の意識で参入しても、その果実を十分に味わうことは難しい。
恋愛をする力は、語学力やスポーツと同じような特殊技能であり、実際に生身の相手と経験を積むという方法でしか会得できない。1980年代に隆盛を誇ったデート情報誌や若者向けファッション誌で紹介されていた知識やマニュアル、2010年代に話題になった恋愛工学のようなノウハウを学んだうえで、実際にパートナーを見つけて、関係性を育んでいく努力が必要になる。
また恋愛や結婚は、近年の社会の中では珍しく「男性らしく振る舞うこと」「女性らしく振る舞うこと」が求められる場でもある。日常的に男性らしく振る舞うこと、女性らしく振る舞うことが求められていない社会の中では、「男性らしく」「女性らしく」振る舞うことは、意外と難しい。
かつて恋愛や結婚でしか得られなかった体験の多くが推し活などの他の手段で代替できるようになった今、コスパやタイパの観点から考えれば、わざわざ恋愛や結婚にコミットする必要性は乏しい。
文/坂爪真吾













