1990年代…コミュ力と自己責任の時代
1990年代に入り、性愛コミュニケーションから撤退して趣味に没頭する若者が「オタク」として認識されるようになった。「若者であれば、誰もが恋愛やセックスに興味を持ってしかるべきである」という暗黙の前提が存在していたからこそ、みんなが興味関心を持ち、参入したがっているであろう恋愛の世界から撤退する若者は、異質な存在として注目されたわけだ。
こうした中で、恋愛の自由市場に参入し、そこでパートナーを得られるかどうか、つまり「モテるか/モテないか」が、自分や他人をジャッジする基準として使われるようになる。若者の間では、学歴や収入、社会的地位よりも「モテるか/モテないか」の方に価値を置く傾向も生まれる。
1990年代は、日本の経済状況が悪化し、高度経済成長期やバブル経済の陰で隠されてきた様々な社会の歪みや疲弊が顕在化した時代でもあった。少年犯罪、援助交際、ひきこもり、不登校など、現在でも問題になっている若者に関する社会課題の多くが顕在化するようになったのも、この頃であった。
社会から経済的な余裕がなくなるにつれて、恋愛や結婚の成立を陰ながら支えてきた「土台」や「型」が徐々に失われていき、「自己決定」「価値観の多様化」の名の下、剝き出しの個人同士が、自己の責任において、自身の魅力やコミュニケーション・スキルだけを頼りに相手を見つけ出さなければならない時代へと突入していく。
2000年…萌えとリア充の時代
2000年代に入ると、インターネットの普及により、アニメや漫画などのポップカルチャーが幅広い世代に視聴・消費されるようになった。その中で「萌え文化」が注目されるようになる。アニメや漫画のキャラクターに対して抱く特有の好意を表す言葉として、一部のオタクの間で使われるスラングだった「萌え」は、2005年のユーキャン新語・流行語大賞に選出された。
2000年代後半には、現実世界で活発な恋愛を行う若者が「リア充」と呼ばれるようになる。この言葉は、肯定的な文脈と否定的な文脈、両方で使われていた。リアルの世界で、恋愛を通して充実した日々を送っている人たちというイメージもあれば、恋愛至上主義にとらわれて強迫観念的に動いている哀れな人たち、というイメージもあった。
現実で恋愛を楽しむ人たち(楽しまなければいけないと思い込んでいる人たち)と、ネットや萌え文化へと退却し、その中で充足する人たち、という分化が進んだ時代だったと言える。こうした中で、若者の性行動は徐々に不活発化していく。大学生の性行動経験率(キス・性交)は2005年をピークに減少に転じ、以後低下を続けることになる。
「草食系男子」という言葉が社会に広まったのもこの時期だ。この言葉には様々な定義があるが、おおむね「女性との恋愛やセックスを積極的に求めない男子」という意味合いで、人口に膾炙していった。
目の前に女性と恋愛・セックスできる機会があるにもかかわらず、なぜ彼らはしないのか。草食系男子に投げかけられるこうした問いの背景には、「若い男性は、誰もが女性と恋愛やセックスをしたがっているはずだ」という前提があるわけだが、これはあくまで旧世代の男性観である。恋愛や結婚の成立を陰ながら支えてきた「土台」や「型」が失われれば、恋愛やセックスに興味を示さない若者が出てくることは必然である。
若者の恋愛や性に対する関わりは、全面的な関与か全面的な撤退しかないと考えられていたが、こうした二元論を相対化する存在として、草食系男子の存在が注目されたと言えるのかもしれない。













