死者とのつながりがあれば孤独は癒える

内田 昨日、凱風館で行っている寺子屋ゼミに来た人たちから聴いたんですが、ゼミ生の半数が単身世帯でした。でも、みんな、とても楽しそうに暮らしている。なぜか。それは一人で暮らしていても、家族とは別の形の「つながり」を持っているからです。

端的に言うと、「死んだ人」とつながっている。「死者とつながっている」ということは、言い換えると「まだ生まれてない人ともつながっている」ということです。つまり、時系列の縦方向の関係で人とのつながりを持っているわけです。例えば、研究者なら自分が研究している対象の人とは深くつながっているわけです。同時代の人とは離れているけれども、死者との対話を通じて、一人でも豊かな時間が過ごせる。

青木 内田さんでいえばエマニュエル・レヴィナス(1906~1995。ユダヤ人哲学者)もそうなんでしょうか。

内田 はい。そうです。もうレヴィナス先生が亡くなって30年経ちますが、今でも読むたびに新しい発見がある。「ああ、お師匠さま、こういうことを教えてくださっていたんですね。ありがとうございます」という感じになる。

武道のお師匠さま(多田宏師範。合気会師範、合気道九段)は95歳ですが、今も健在でいらっしゃる。内田家の父母と兄はみな鬼籍に入りましたが、今でもありありと思い出すし、話題に出るし、父や母や兄とのつながりが、僕の今の生き方や考え方に深く影響していることが年を経るごとにわかってくる。

厚労省や総務省の単身者対策って、みんなで集まってパーティーをしましょうとか、趣味のサークルに入って、孤立を解消しませんかという安直なソリューションしか提示していない。僕は、それはまったく違うと思う。人が孤独になるのは、横のつながりがないからじゃないんです。大きいのは縦のつながりが切れているからなんです。

死者たちから手渡されたものがない、これから生まれてくる世代にパスするものがない。その縦方向の断絶が人を孤独にするのであって、一人で暮らしていても、死者とつながり、まだ生まれてない世代につながっていれば、孤独を感じることはない。愉快に生きていけるんですよ。

青木 僕の今作に話を無理やり引き戻せば(笑)、これを書く過程ではそれこそ死者との対話を長い間、僕はしてきたわけで、その中で気づかされたことはとても多かったように思います。

内田 この本で、語り部となっている大久保美江子さんも、最後はたった一人になりますよね。でも、「単身でお寂しいでしょう」と訊かれたら、あの方はたぶん「寂しくありません」と答えると思う。だって死者とつながっているから。それが実は人間の柱になっているんじゃないか。この本には百年の近現代史を語ることで、その死者とつながっている感覚を思い起こさせてくれました。(続く)

2011年4月福島で102歳の老人が自ら命を絶ったのはなぜか? 新聞を中心に朽ちていく日本のジャーナリズムと、孤立を深める人々_6
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構成/宮内千和子 撮影/三好祐司 

百年の挽歌 原発、戦争、美しい村
青木 理
百年の挽歌 原発、戦争、美しい村
2026年1月26日
2,200円(税込)
四六判/224ページ
ISBN: 978-4-08-789024-2

102歳の古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?
東日本大震災、福島第一原子力発電所事故から15年
『安倍三代』の青木 理が満を持して放つ、3・11レクイエム

◆内容紹介◆
2011年4月11日深夜、東北の小さな村で、百年余を生きたひとりの男が自ら命を絶った――。
厳しくもゆたかな自然に囲まれ、人と土地が寄り添ってきた村で、何が彼をそこまで追い詰めたのか。
その死の背景を追ううちに見えてきたのは「国策」という名の巨大な影と、時代に翻弄される人々の姿、そして戦争の記憶だった。
『安倍三代』の青木 理が静かな筆致で、現代日本の痛みと喪失をえぐり出し、美しい村の記憶と、そこに生きる人々の尊厳を描く渾身のルポルタージュ。

◆推薦◆
「この本は、ひとつの村の物語であり、同時にこの国の百年の記録である。」内田樹氏
「”この風景は私”と言えるほど土と人が結びついた暮らしを、原発事故によって断ち切られた人々の喪失が、本書には刻まれている。」藤原辰史氏
「貨幣による豊かさの名のもとに、共同体と暮らしがいかに壊されてきたか。その現実を、本書は静かに突きつけている。」田中優子氏

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