この事件を追いかければ日本の近現代史が見える

青木 カポーティの『冷血』を引き合いに出すのが適切かどうかわかりませんし、最近はあまり聞かなくなった言葉でもありますが、「ニュージャーナリズム」という手法がもてはやされたことがありました。まるで同じ現場に立ち会っていたような、あるいは取材対象本人になりきったように描いてしまう。

徹底して取材を尽くしたからこそ可能とされる手法ですが、ジャーナリズムの原則論から言えば決して本道とは言えません。でも、内田さんがそうおっしゃってくださるので、この作品を書くに至った経緯と、そこに込めた想いを少しお話しさせてください。

もともと僕は大手通信社に所属する記者でした。震災や災害を専門に取材してきたわけではありませんが、社会部暮らしが長かったですから、たとえば阪神・淡路大震災の際も発生当日に東京から神戸入りし、そのまま2週間ほど神戸市役所を拠点に被災地を這いずり回りました。つまりは大手メディアに属する記者として巨大震災の一部を取材し、組織として震災の全体像を伝えていく、直裁に言えば僕はその組織の歯車だったわけです。他の災害取材なども同様でした。

ところが3・11は立ち位置が違いました。この数年前に組織を離れてフリーランスとなり、戦後最大級の未曾有の震災であり災害でしたから、発生直後にレンタカーを借りて岩手や宮城、そして福島などの被災地を這いずり回ってみたものの、これはとても僕一人の手には負えないと痛感させられたんです。

被災地域が比較的限定されていた阪神・淡路大震災とも異なり、東日本大震災は岩手から茨城あたりまでの広大な東北沿岸が被災地となり、しかも震災に伴って福島第一原発の破滅的事故まで引き起こされた。あまりに事象が巨大で広大で、しかも複雑で重層的な災害でもありましたから、いちフリーランスの僕には何をどう書けばいいか、それ以前の問題として何を書けるのかさえわからず、正直言って呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

ただ、同時代にジャーナリズムと呼ばれる世界に関わっている者として、この巨大災害を描かずにやりすごしてしまうわけにはいかない。そういう意地というか、少々格好つけて言えばフリーランスの取材者としての使命感のようなものも強烈に抱きました。では現実に何をどう書くか。葛藤を抱えつつ3、4年ほどは被災地通いを続け、ふらふらと彷徨っているうち、102歳の大久保文雄さんが自死した事実に辿り着いたんです。

その事実自体に僕は衝撃を受けましたし、実際に美江子さんや関係者への取材を進めてみると、震災や原発事故はもとより、先の大戦を含めた「国策」の過ちに運命を翻弄された一家の実像が浮かびあがってきました。また、エネルギーにせよ食料にせよ、人間の生存に必須なものを農村部に依存しつつ、その果実だけを収奪して貪り食ってきたかの如き都市住民の、僕自身もその一人なわけですが、当然ながらそうした矛盾も垣間見えてきた。

ならば102歳の古老の自死という“ミクロな事実”に焦点を当てつつ、そして思い切り焦点距離を近づけつつ、しかし同時にそこからこの国の近現代史の歪みまでをも俯瞰したルポルタージュが描けるのではないかと、そんな思いを抱きながら取材にのめり込んでいったわけです。

青木理氏
青木理氏