兄を支えた秀長の能力
秀長の兄、秀吉の軍事の特徴はまず第一に「兵を動かす」ことにあった。とにかく兵隊を動かさないことには、そもそも軍事ははじまりません。それが第一歩であり、最後の目的でもある。秀吉は兵を動かすことによって明智光秀に勝利を収め、柴田勝家も下します。
そして第二の特徴が「兵も人である。戦いは人が行うものだ」という感覚をしっかりと持っていたところ。戦いは人が行うものである。そして人は食べないと働くことができない。つまり食糧をきちんと用意しないと戦いはできない。
そのため秀吉の軍隊では、「食べる物は現地で調達しろ」ではなく、どうやって食糧を調達し、いかに補給を行うか常に考えるようになっていました。食糧だけではなく、たとえば鉄砲のような装備をどう調達するかなど経済的な側面も大きな課題となっていたことでしょう。
そういった任務をこなすのは、戦場で槍を振り回すだけの人間には難しい。現代のサラリーマンのような、デスクワーク的な実務能力が必要になります。
おそらくですが、その点で秀長という人はすごく役に立ったのではないか。ただ、これについてはあまり積極的な史料がありません。史料はないのですが、傍証のひとつとしては、秀長という人は軍事において、そんなに目覚ましい働きをしていません。たとえばどこかの城を取ったとか、獅子奮迅の働きで敵の部隊を破り、勝利をもたらしたとか、そうした話はないのです。あの人は武勇にすぐれている、という評価も見当たりません。
しかし、秀吉という人は何しろ能力主義の人です。「弟だから」という理由で領地を与えるほど甘い人ではない。しかし秀長に対しては、実際に大きな領地を与えています。となると秀長はやはり優れた能力の持ち主だった。そしてそれはおそらく槍を持って奮闘する能力ではなく、後方で軍隊を支える任務において発揮される能力だったと思われます。
秀長の戦歴を見ていると、留守番部隊を務めることが多い。留守番というと凡将でも務まりそうですが、実は一番信頼できる人間が任されるものなのです。
これはたとえ話になってしまいますが『三国志』でも曹操が遠征に出るとき、本拠地を任せるのは誰かというと、参謀グループトップの荀いく(じゅんいく)。いっぽうの劉備も蜀で皇帝に立った後、都の成都を任せたのは、あの諸葛孔明です。
荀いくにしても、諸葛孔明にしても、軍隊に帯同して奇手奇策をひねり出し、敵を翻弄する話はあくまでファンタジーです。一番大切な役割はトップの留守をしっかり守ることでした。逆にいえば、信頼して留守を任せられる人がいるからこそ、トップは安心して戦争に出かけることができる。
秀吉にとっては秀長が、そうした人だった。秀長の存在は秀吉にとって非常に大きいものだったといえるでしょう。













