きっと信長は自分の狂気に気がついてたんじゃないかな
───それぞれのキャスティングは難しかったんじゃないですか?
資料を読んで史実を信じるなら荒木村重は最後、行方不明なんだよ。なので、今回の設定では独自の解釈を加えてみたんだ。
まぁ、加瀬くんは大変だったと思う。彼は、痴漢をしたのかそれとも冤罪なのかを描いた『それでもボクはやってない』でいくつも賞をもらったけど、それも加瀬くんの役者としての引き出しみたいなもので演じきれてたと思うんだよ。
その後、『アウトレイジ』、そして『アウトレイジ ビヨンド』ではヤクザの幹部を演じてもらい、あれでだいぶ俺に鍛えられて、今回はさらに、あれとは全く違うテンションでの演技をやってもらってるんで、役者冥利に尽きるというのか、挑戦し甲斐があったっていうのか、あるいは酷い目に遭ったと思ってるのかわかんないけどね(笑)。
───海外でもすごく評価されるんじゃないですか?
と思うけどね。
彼の演じた信長のことも諸説あるけど、例えば桶狭間の戦いでは、わずかな兵で今川義元を獲ったときの運のよさしかり。まったく勝機のなかった戦にも勝っちゃったり。ヤケクソになったときの信長っていうのは同時になぜか運も引き寄せてて、途中でいつ死んでもおかしくないくらいの奴なのに、ジャンジャンジャンジャンでかくなっていく。
なんで俺はここまですごくなっちゃったんだって。そしてそれはあるとき、己の出世やら威力に自分自身が追いついていかなかったんじゃないか、っていう感じもあるんだ。幻想に追いつかなきゃいけないというかね。
だから、『信長公記』(織田信長の一代記)では光秀のことを「天下の面目をほどこした」と記しているようだし、野心を持って攻めてきたのがあの光秀だとわかっても、それはしょうがねぇやなって感じで納得したとこもあるんじゃないかと思って。
きっと信長は自分の狂気に気がついてたんじゃないかな。誰も止めらない取り憑かれたようなテンションっていうのを信長は自分自身でも感じてて。「家康を殺せ」とか、天皇もへったくれもあるかって思ってるんだけど、自分も間もなく死ぬぞっていうね。
時代劇では戦国大名の偉大さとかすごさとかいうのを描くけど、あのころの武士や大名なんか知れば、たまたま間違って変なとこに生まれちゃって、なんだかよくわかんない武士という緊張感の中で生きることになっちゃう。運よく戦争に勝ち続けた奴はやがて頭がイってしまって民百姓なんかも平気で殺しちゃうんだ。
───能のシーンも印象的でした。
そこは二十六世観世宗家の観世(清和)さんに来ていただいて、本物の能、観世流『敦盛』を再現したものを撮ったんだ。信長は『敦盛』とか『幸若舞』が好きだったというからね。
まぁ能狂言っていうのはあの世の話だから。信長って、自分が死んだことを想定してて、生きてる現実と死んだ後っていうのが、ごちゃ混ぜになってたんじゃねぇかな。戦国時代って合戦のときにはほとんど死を覚悟でやるんだろうけど、それも別に怖いわけでもなくて、当たり前のように死んでいくっていう感覚はあったんじゃないかと思うんだよ。
───小説のラストシーンも映画のラストシーンも北野節を感じさせてくれます。
映像的には、かなり具体的にいろんなアイディアやイメージもあったんだけどね。様式美じゃねぇとこっていうのをわざとやったんだ。