YMOは逆輸入
70年代末の日本は高度経済成長期からバブル景気へと向かう急角度の上昇曲線にあり、その中核を成していたのがテクノロジーでした(代表的/象徴的な企業がSONYです)。
新しい電子楽器も多くが日本製だった。
こうしてホワイト・マジックでもブラック・マジックでもない、イエロー・マジックとしての「テクノポップ」が誕生したのです。
YMOのデビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』は1978年11月リリース。しかし当初の評価は芳しいものではありませんでした。あまりにも先進的すぎて、メンバーのキャリアを知る者にさえ、かなりの戸惑いを与えたようです。
その潮目が変わるきっかけとなったのは、翌年の1979年にアメリカのA&Mレコードから同作がリリースされ、YMOが渡米して行ったライブの演奏が大評判になったことでした(これに至るまでには紆余曲折があるのですが、詳しくは拙著や類書をお読みください)。
アメリカでの鮮烈なデビューが日本に伝えられると、国内でも人気に火がつき、YMOは見る見るうちに国民的な人気者になっていくことになります。
YMOのブレイクはしばしば「逆輸入」と言われます。日本よりも先に海外で評価され、その影響で日本でも話題になる、という回路を指す言葉ですが、ではどうしてYMOはアメリカでウケたのでしょうか?
「上を向いて歩こう=SUKIYAKI」と同じことが言えると思います。まずなんと言ってもYMOの音楽が当時の世界水準ですこぶる斬新であり、かつクオリティも高かった、ということがひとつ。
シンセサイザーをメインに使用するロックはすでに存在していましたし(クラフトワークやタンジェリン・ドリームなどのジャーマン・ロック)、打ち込みを駆使したダンス・ミュージックもありました(ジョルジオ・モロダーがプロデュースしたドナ・サマー)。
しかしYMOほどテクノ(ロジー)を音楽性と密接に結びつけたバンドはいまだかつてなかった。3人のメンバーがそれぞれ卓越したプレイヤー(楽器演奏者)でもあったことも大きかったと思います。
機械に自動演奏させるだけでなく、自分たちも楽器をテクニカルに操れるということは、特にライブにおいてはまぎれもない魅力だったはずです。
しかしそれと同時に、YMOがあえてまとってみせた仮装=イメージも効果的だったことは間違いありません。
アルバム・ジャケットやライブで彼らが着ているコスチュームは、実際には違うらしいのですが、中国の人民服に見えます。テクノカットと呼ばれた刈り上げのヘアスタイル、曲名にアジア的なワードを多用していること、ファースト・アルバムのUS版のジャケットにあしらわれた「電線芸者(ゲイシャの頭からコードが溢れている)」などなど、西欧から見た東洋のステレオタイプな表象(日本も中国も区別がつかない)を戦略的に戯画化することによって、YMOはオリエンタリズムを戦略的に利用し、アジアのはずれに位置する島国ニッポンから突如として現れた「黄色い魔術=テクノポップ」というイメージを自己演出してみせたのです。













