70年代後半の芸能界を席巻するピンク・レディー
坂本九「上を向いて歩こう=SUKIYAKI」のアメリカでの大ヒットは、日本の音楽業界にとって、いわば伝説の成功モデルとなりました。その後、日本国内で頂点を極めた歌手たち、少なくともその一部は、次の目標として海外デビュー、もっとはっきり言えばアメリカ進出を夢見るようになった。
なにしろ一度はビルボードで1位を獲っているのですから、絶対に不可能というわけではないことは証明されている。ここではまずピンク・レディーの挑戦について見てみようと思います。
ピンク・レディーはミー(現在の芸名は未唯 mie)とケイ(現在は本名の増田惠子で活動)の2人組で、70年代に大きな影響力を持った日本テレビ系列のオーディション番組「スター誕生!」に合格し、1976年8月にシングル「ペッパー警部」でデビューしました。
ティーンアイドル(デビュー時点で2人は18歳)としてはかなり珍しかった露出過多の衣装と、思わず真似したくなるようなユニークな振付、阿久悠と都倉俊一の作詞作曲コンビによる斬新な楽曲によって、同曲は新人のデビュー曲としては異例の大ヒットとなり、ピンク・レディーは一躍スターダムに躍り出ます。
セカンド・シングル「S・O・S」で初のオリコン1位、以後、「カルメン’77 」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」と次々とスマッシュ・ヒットを飛ばし、70年代後半の芸能界を席巻します。
私は1964年生まれなのでいうなれば直撃世代であり、2歳年下の妹が家の中でピンク・レディーを歌い踊っていたことをよく覚えています。
テレビで彼女たちの姿を見ない日はなく(それどころか1日に何度も出ていました)、人気絶頂期の異常とも思える「不眠神話(睡眠時間があまりにも少なくて当時の記憶がない)」は、のちに物議を醸すことになります。













