陰謀論と社会の断絶
大手メディアは現在、一部で「マスゴミ」と呼ばれている。私も居酒屋などで初対面の相手から面と向かって言われたことがある。毛嫌いする理由はさまざまあるのだろうが、もし大手メディアがなくなると、人々が生活していく上で必要な適切な一次情報がなくなり、真偽定かでない二次情報だらけの世界になってしまう。
そうなると、一体どうなるのだろう。結論から言えば、自由や民主主義とは相いれない社会になる。
その理由の一例として、陰謀論が分かりやすい。たとえば、「エリート層が『ディープステート(闇の政府)』をつくり、秘密裏に権力を握って米国を操っている」「能登半島地震は自然災害ではなく、地震兵器による『人工地震』だった」といった荒唐無稽な話だ。
多くの人々にとって、これらが真実ではないことは簡単に分かる。では、なぜ真実ではないと言えるのだろうか。その根拠は、と問われたらどうだろう。
その根拠は確かにある。たとえば、専門家や公的機関が明確な説得力を持った説明によって否定しているからだ。その説明を人々が直接聞いたわけではなくても、何らかの大手メディアを経由して聞き知っている。
ここで、大手メディアが存在しなければ、「専門家」が本物の専門家かどうかも確認のしようがない。しかし、メディアの記者がその分野の第一人者を、学会への取材や他の専門家からの紹介、先輩記者らの取材の蓄積などをもとに選んで直接取材しているからこそ、まぎれもない専門家と言い切ることができるのだ。
繰り返しになるが、陰謀論を陰謀論にすぎないと人々が明確に否定できるのは、間にメディアが介在しているからであり、そうでなければ、それが事実なのかどうか、確かなのかどうかという「確からしさ」を把握することができなくなる。