「優遇された帰還」は自決の教唆と部隊活動の隠蔽が目的だった可能性
1945年8月12日、マルタの獄舎の爆破を手伝った清水さんらは、日本で米英中ソなどへの無条件降伏が表明される前日の1945年8月14日夕、脱出用列車に乗り込んだ。その前に清水さんは上官に呼び出され、「捕まったら自殺しろ」と銃と青酸化合物を渡されている。
ソ連軍から逃れ、部隊本拠を放棄すると思った清水さんだが、日本へ向かうとは知らなかったという。
「汽車が新京(現・長春)まで来た時に『日本は負けた』と聞きました。途中で『俺は日本へ帰らない。馬賊になる』と言って降りていった先輩もいました。帰ってもどうなるか分からないと考えたんじゃないですかね」(清水さん、以下同)
汽車は朝鮮半島を縦断し、乗り換えなしで釜山まで着き、そこから船に乗った一行は8月下旬に日本に帰還した。
「秘密部隊だから強制的に(最速で)帰したんだと思います。釜山から船が出た時、ピストルと青酸は海に捨てました」
ハルビン撤収前には急性虫垂炎で身動きが取れない先輩少年兵が“処分”されたとも聞いた。「優遇された帰還」は自決の教唆と表裏一体の、部隊活動の隠蔽が目的だった可能性が高い。少年兵には入隊直後に部隊での経験を他言するなとの命令が出ていた。
長野県宮田村に帰った清水さんは父の仕事を継いで暮らし、ハルビンでの記憶を70年間、表で語ってこなかった。
731部隊の存在は1980年代には作家の故・森村誠一氏のノンフィクション「悪魔の飽食」のヒットで広く知られるようになったが、「秘密にしろとの命令もあったし、しゃべっても信じる人が少ないんじゃないかなという頭もあった」からだという。
転機は2015年の8月15日、宮田村に近い伊那市で開かれた「平和のための信州・戦争展」。ここに妻と妻のいとこのA子さんとともに訪れたことでやってきた。
A子さんは1945年3月に清水さんと一緒に満州行きの列車に乗った女子生徒で、新京の部隊に配属された過去があった。
戦争展の運営に関わってきた元社会科教師・原英章さん(76)が当時を振り返る。
「長野県では、731部隊で人体解剖の中心となった『技手』として働いた県内出身のBさん(故人)が1991年から証言をしてきました。Bさんはハルビン撤収時に最後まで部隊に残り飛行機で脱出した人で、その時に医療器具や医学書を一部持ち出し、これらが戦争展で展示されていました。
その展示物の前で清水さんが奥さんとA子さんに731部隊のことを説明する声をスタッフが耳にし、『もしかして元部隊員の方ですか?』と声をかけたんです」(原さん)
翌2016年の戦争展から清水さんは証言活動を始める。本人は証言を決意した理由について、「『ぼつぼつ話してもどうだ』とA子さんに言われたから」と言葉少なだ。
ただ「やっぱり本当のことだけは知ってほしいというのが私の願いです」とも話す。













