政治はオワコンになりかけている

では、プルラリティの目指す方向性がいかに憲法的に重要なのか?それを明らかにするには、まず今のデモクラシーの現状を確認することから始めなければならない。

写真/Shutterstock
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ここでも、また、はっきり言いたい。政治はもうオワコンになりかけている。

政局にならないと何も動き出さない。現金給付2万円のニンジンをぶらさげればウマは喜んで食いつくと見くびられている。

立候補すれば、スキャンダルを暴かれ、突かれ、捏造され、不倫疑惑を否定しても「認めない限り疑惑は晴れない」という不条理にさらされ、あの手この手で金を集め、違法すれすれの危ない橋を塀の向こうに落ちるのを覚悟で渡らされ、感謝しても口先だけと言われ、謝罪してもうわべだけと言われる。

政治家になったらなったで上からも下からも理不尽な要求を突き付けられる……。こんなんで、いったい誰が政治家になろうと言うのか。もうこうなると罰ゲームである。ロシアンルーレットである。この世に未練のない人くらいしか挑戦しなくなるのではないか?

今の政治家は、「大衆」という、どす黒い「波」のうねりをサーフィンするようなものだ。うまく波に乗ればスターになり、一歩間違えれば海のもくずとなる。こうなると、政策論議も長期構想も夢も希望もない。一発勝負の自己実現ゲームとなる。とにかく目立てばいい。奇矯なことを言い立てて炎上し、アテンションを集めれば勝ちだ。

こうして、意図的に「分断」が創り上げられる。「分断」こそが支持者を集め、自陣に固定化するワザであるから、毎回、より刺激的な扇動を行って、「分断」をどんどん強化していく。しかも、ネット上の仮想空間だけでなく、現実空間も仮想化できると考える人が増え、デマが真実となり、真実がデマとなる。ポスト・トゥルースがあふれ、協調と利害調整という生活の必要に根差したリアルな政治など、どこかに吹っ飛んでしまう。