国民に対する姿勢の「だらしなさ」こそが、彼らを敗北へと導いた

高市内閣が異例の高支持率にわいている。勝者の高らかな凱歌の陰で、敗北の苦汁をなめる者たちがいる。その筆頭が、総理の座にしがみつきながら、自民党員から見放された石破茂前首相である。

そして、石破政権で中枢を担っていた側近、平将明氏と木原誠二氏。この三人の政治家の凋落は、単なる権力闘争の帰結ではない。それは、彼らが掲げた政策の底の浅さ、国民を欺く姿勢、そして政治家としての本質の欠如が招いた、必然の結末であった。

かつて石破内閣が発足した際、閣僚写真で見せたズボンのだぶつきを、世間は「だらし内閣」と揶揄した。しかし、問題の本質は服装のだらしなさにあるのではない。思想の、政策の、そして国民に対する姿勢の「だらしなさ」こそが、彼らを敗北へと導いたのである。

本稿では、石破氏、平氏、木原氏の三名に焦点を当て、その失敗の本質を冷徹に解剖していく。これは彼らへの鎮魂歌であり、同時に、日本の政治が二度と同じ過ちを繰り返さないための、痛烈な警鐘でもある。

石破氏は本当に「知性的」「政策通」だったのか

石破前首相
石破前首相

石破茂という政治家は、常に「知性的」「政策通」というイメージを纏ってきた。しかし、そのメッキは、いとも容易く剥がれ落ちる。最近で象徴的だったのが、戦後80年談話で披露した、その驚くべき歴史認識の浅薄さである。

石破茂は、リベラルなポーズを取り繕うかのように、政治学者・丸山眞男を引用し、「元老院のおかげで軍事の暴走が止められた」と主張した。一見、知的な響きを持つこの発言は、しかし、歴史的事実を致命的に誤解した、空虚な言葉の戯れに過ぎなかった。

丸山眞男が論じたのは、明治期において元老院が一定の軍事コントロール機能を果たしたという点である。昭和初期、日本を破滅へと導いた満州事変以降の軍部の暴走は、元老院の衰退が直接の原因なのではなく、政党政治の機能不全や統帥権の独立など、国家システム全体の構造的欠陥に根差している。