世界中を駆け巡った「ジャマイカが救われた」というニュース
1978年、政治抗争に揺れるジャマイカには、ボブ・マーリーの力が必要だった。ボブは敵対する二つの政党、PNP(人民国家党)とJLP(ジャマイカ労働党)の代理人を英国に呼んで休戦協定の仲介を試みた。
そして1978年4月22日にはジャマイカの国立競技場で、抗争の終結を願って「One Love Peace Concert」の開催が決定。ボブ・マーリーはこのコンサートにメインアクトとして出演することになり、亡命先のロンドンから帰国した。
俺の命より、他の人々の命が重要だ。みんなを救ってこそ俺はある。自分のためだけの命なら俺は要らない。俺の命は人々のためにある。
![1945年2月6日生まれのボブ・マーリー。本名はロバート・ネスタ・マーリー。写真は『キャッチ・ア・ファイアー<50周年記念盤> [SHM-CD]』(2023年11月3日発売、UNIVERSAL MUSIC)のジャケット写真](https://shuon.ismcdn.jp/mwimgs/9/9/500mw/img_9972d59d30000e7edf3caa6501b1d289561414.png)
首都キングストンにある会場には、ジャマイカを代表するレゲエ・ミュージシャンたちが集まり、最前列には首相や両党の国会議員らが招待された。
夜もすっかり更けた頃、国民的なスターの凱旋ステージに、観客の熱狂はピークに達する。ボブ・マーリーは『Jamming』の演奏中、PNPのマイケル・マンリーとJLPのエドワード・シアガに対して、「話があるんだ。二人ともステージに上がってきてくれないか」と呼び掛けた。
聞いてくれ。すべてを解決するために心を一つにしよう。至高の精神である皇帝陛下ハイレ・セラシエ1世が呼び寄せる。この国の2人のリーダーたちをここで握手させるため。人々に愛を示せ。団結の意志を示せ。問題はないと示せ。すべてうまくいくと示せ。心配などない。一つになれる。団結するんだ!
ボブの懸命な説得と観客の想いに背中を押されたのか、抗争の真っ只中にあった両党首はステージ上で握手を交わす。二人の手を、何も言わずに頭上に掲げたボブは、「愛と繁栄よ、我らと共にあれ。ジャー・ラスタファーライ」と観衆に向けて伝えた。
それは白人と黒人の二つの血が流れる者、山の手とゲットーどちらでも生きた者だからこそ一つに結びつけることができた、歴史的な出来事のように映った。
「劇的な和解によってジャマイカが救われた」というニュースが世界中を駆け巡った。それは一瞬のことであったかもしれないが、ジャマイカには奇跡が起きたのだ。