「僕と全く同い歳で、同じ年齢で、同じ年にバンドを作って…」
しかし、期待されたわりにシングルはヒットとは程遠かったし、アルバム・セールスにもまったく結びつかなかった。
やがてメンバー間での音楽性の違いが目立ってきたことや、ドラマーとしての自分に限界を感じたことから、浜田省吾は愛奴を脱退して、自分の音楽を探す道を選ぶ。
メインとなるソングライターを失った愛奴が解散したのは、翌年末のことだった。
一部の音楽ファンからは熱い支持を得ていたシュガー・ベイブも、その年の春には解散の道を選んでいた。
「僕と全く同い歳で、同じ年齢で、同じ年にバンドを作って、同じ年にバンドのアルバムを出して、同じ年にバンドを解散して、そして同じようにソロになって、僕と同じようになかなか売れなくて、やはり僕と同じ頃にブレイクして、今でも現役で、第一線でバリバリで活躍している一人のミュージシャンがいます」
1994年春。自分のアンプラグド・ライブで、こんな紹介から『二人の夏』をバラード風にアレンジして歌ったのは、シュガー・ベイブにいた山下達郎だった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考
陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー(田家秀樹著/角川文庫)