弘田三枝子、坂本九がお気に入りだった小学生の竹内まりや
竹内まりやが衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMだった。一緒にテレビを見ていた兄に「今のは何?」と尋ねると、「ビートルズ」と教えてくれたそうだ。
その時、竹内まりやは9歳。「あまりの衝撃で、ミコちゃんもパラキンもどこかに行ってしまった感じ」だったという。

その当時の少年少女たちの多くがそうだったように、お気に入りは欧米のポップスを日本語でカヴァーしていたミコちゃんこと弘田三枝子や、ダニー飯田とパラダイスキングのヴォーカリストだった坂本九だった。
映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT)』がロードショー公開されたのは、中高生の夏休みに合わせた1964年の夏から秋にかけてのこと。
東京が8月1日、地方では福岡が5日、京阪神地方が15日、名古屋と札幌が9月1日、仙台が11月で、それ以外では公開されていないようだ。
だから地方に住んでいた少年少女たちは、動くビートルズを見ることができなかった。