「これは『キッズ・リターン』なんだ」
━━博士自身、完成された映画を見てどう思われましたか?
博士 『選挙と鬱』は、タイトル通りに本来2つあるべき映画が一つになっている。一粒で二度美味しい(笑)。ボクは“躁と鬱”“動と静”“身体と精神”“ハレとケ”“生と死”これらの要素を二元的に表していると思って観たんだよね。
青柳 じつは2022年の博士の選挙の撮影中、『フジヤマコットントン』という障がい者福祉施設を描いたドキュメンタリー映画を撮っていて、そこと博士を撮ることが何もかも真逆だったということもあって、選挙戦とある種対照的な“その後”の鬱を分けて撮るということが出来たんだと思います。いま思えば、ですが。
博士 (撮られる身としては)出口は見えなかったね。だって、24年の元旦に下血(自転車の漕ぎすぎによる)して救急車で緊急搬送されるんだけど、あれがなかったら、監督は、まだまだ出口が無いままにカメラを回し続けてていたかもしれないよね。
青柳 ウーバー配達に挑戦しているところを4、5日撮ったあと、元旦の事件でドクターストップがかかってそこで撮影を終えたんですよね。
博士 だから、これは始まりも終わりもない、『キッズ・リターン』なんだ、こういう終わり方もあるのかと思った。
青柳 あの怒られる場面が入ったことで、単純に「鬱から完全復活! めでたしめでたし」という物語にはならなくなったから、良かったです。人はいつだって波の上で揺れ動く存在だし、鬱は治して終わるものではなくて、一緒に付き合いながら生きていくもの、この感覚を観客に手渡せたらと思ってます。
博士 映画の中で語り尽くせないことを言うと、議員辞職後に僕が少し元気になり、配達員にチャレンジしたところを、精神疾患の経験のない人は、よく「鬱」病の人が「躁」になったと他人事のように言うけど、人間というのはみんな人生の中の山あり谷あり感情の波の中で生きていて、精神的に喜怒哀楽を繰り返し、落ち込んだり、喜んだりしながら生きているんですね。精神疾患の人は特別じゃないんです。
これは話すと長くなるんだけど、ボクは今、向精神薬は否定していて。クスリ難民の問題もあり、それをどう語っていくのかはボクの人生の今後の課題だと思っている。
だから映画の結末で物語を終わりにしないで、観客に主人公も観ている自分にとっても日常の物語、人生はまだ続いているんだという気持ちは残したい。そう思って近々行われる東京都議選に出ようとしていたんだよね(笑)。
青柳 そう。あわてて、止めたんですよね。
博士 これは、この映画の宣伝にもなると思ったんだけど、それをすると公開中止(公平性から劇場は選挙期間中の上映を控える)になりますって 。だけど、それくらいドキュメンタリー映画は人生の断片を切り取っている。
しかし、主人公も観客も人生は悲喜こもごもで、まだまだ続いてるということを伝えたいんだよね。
━━再び国政に出るという意思がある?
博士 正直、未来のことはわからない。2万%出ないと言っていた人が出たりするんだから、可能性はゼロじゃない。あと、この前(2022年の参院選)の演説の中で「この選挙を最初で最後にはしません」と何回も言っていたから、選択肢は残しています。