――確かに、業界だけで浸透している言葉や価値観はありますね。伝える努力が足りないまま、新しいものに飛びついてしまい、結局定着しきらないということも。
山内 最近、著作の文庫化に際して「帯の惹句にシスターフッド文学という言葉を使っていいですか」と担当さんから確認されました。シスターフッドという言葉があまりに使われすぎていて、忌避する作家さんもいるかもしれないからと。
だけど、飽きているのは業界の人か、よほどの読書家だけで、とくに地方にはまだまだ届いていない。手垢もついてきてますが、私は使っていきますよ(笑)!
吉田 誰に向けて話すかによっても、変わってきますよね。確かに業界の人たちにとっては「またこれか」と思われてしまうかもしれない、わかりやすい言葉にくるむことで誤ったイメージの伝播につながってしまうかもしれない、と懸念するからこそ、私も企画書にはあまりシスターフッドという言葉を使わないようにしているのですが、視聴者や読者に向けては、ときに、同じテーマを何度でも口酸っぱく言い続けることが必要だとも思います。こすり倒してもまだ、届いていない人というのは絶対にいるはずなので。
山内 本当にそう! 実は私、女性二人が美味しいごはんを食べて幸せを嚙みしめる系のドラマは、「もう飽き飽きなんだよ!」と柚木麻子さんに愚痴ったことがあって。そしたら、「それを言うなよ。恋愛ドラマはいくら作られても、飽き飽きだなんて思わなかったじゃないか!」とたしなめられました(笑)。
飽きるほど作られてナンボだし、なんなら、飽き飽きするのはシスターフッドというテーマのせいじゃなくて、作り手側の工夫が足りていないってことなのかもしれない。
吉田 恋愛ドラマには、たぶん、いろんな味があるんですよ。同じ食材を使っても調理方法によって味や印象が異なるように、ジャンクなものも高級感のあるものも、それぞれに楽しめる選択肢が用意されている。
だけど今、女性ふたりの関係性を描くとき、料理でたとえるなら和食しか用意されていない状態なんですよね。だからどうしても、たまには違うものがほしい、と思ってしまう。どうしても成功体験を踏襲してしまうし、そもそも和食を求めている人の数が圧倒的に多いから、冒険ができないというのもあると思うんですけれど。
構成/立花もも 撮影/大槻志穂
(『すばる』2025年6月号より)