――山内さんが、そもそもシスターフッドという概念を身の内に宿して小説を書くようになったことには何かきっかけがあったのでしょうか。
山内 大学時代に、彼氏より大事だと思える女友達に出会って、友情がスパークしたんです。それまでは恋愛のウエイトのほうがはるかに大きかったし、彼氏が人間関係の中で最上位にくるものと思い込んでいた。恋愛至上主義だと同性に心の底からは気を許せないので、女友達のことを妬み嫉みの感情まじりに見てしまうところもあって、それも苦しかったんです。
だけど、ものすごく気の合う、親友と呼べる存在ができたことで、恋愛なんて大したことないなって思えた。彼女との関係を通して自分を形作っていったし、世界の見え方が変わって、革命が起こったみたいでした。
私が十代、二十代の頃は、女性が読むものも書くものも恋愛小説しか選択肢がない感じで、世の中で提示されている価値観がロマンティックラブイデオロギー一択。だけど人生で一番素晴らしかった出来事は親友との出会いだから、私はそれを書きたい、と。
新人賞を受賞した2008年の時点では、女の子同士の友情は少女小説的な、一般文芸より劣るものなんだとストレートに言われたこともあります。隔世の感がありますね。
吉田 私自身の話ですが、仕事が忙しくて子育てもしていると、なかなか友達と会うこともできなくて。そんな日々に追われるなかで、私は誰かにとってスペシャルな存在になりえているのだろうかと、ふと考えたことがあったんです。
どうにか時間を捻出して会いたいと思う親友も、私にとっては一番の存在でも、もしかしたら彼女にとってはそうじゃないかもしれない。でもそれの何がいけないんだろう、と同時に思った。
世の中には、お互いを唯一無二だと確信できる関係性を美しく価値の高いものとしてとらえる向きがあるけれど、大事なのは自分にとって相手がどんな存在であるかということで、相手にとって自分が5番でも6番でも関係ないじゃないか。
必要なときに寄り添い合えて、支え合えて、何より自分がその人の存在に救われていればなんの問題があるだろうと考えるようになりました。唯一無二の関係も素敵だけど、こういう考え方もあるよね、それはそれで素敵だよねって。
山内 シスターフッドの物語を書き続けていると誤解されがちなんですが、私も四六時中、女友達とお茶してるわけではないし、関係が途切れてしまった友達もいます。自分の生活でいっぱいいっぱいになっているうちに、女友達との距離が遠く離れてしまうことは普通にある。というか、世の中そういう人が大半ですよね。
吉田 ほんと、そう思います。だから、あなたじゃなきゃだめだと言われたい、自分にとってそういう相手を見つけたい、という人にはスペシャルな関係性を描いた物語も刺さると思うのですが、それをあまりに美しいものとして描きすぎると、山内さんがおっしゃるように、そういう人を見つけられない、そもそも見つけたいとも思わないという人を抑圧することに繫がってしまう。
馴れ合う必要はないし、必ずしもずっと一緒にいなくてもいい、だけどどちらかが倒れそうになったとき寄りかかれる存在としてあり続けること、踏ん張りたいときに励みになれることが理想。シスターフッドという言葉が普及したからこそ、その言葉を使うことで神聖化されすぎる怖さもある、と感じています。
山内 かつては恋愛小説や恋愛映画だらけで、恋愛していない人にとっては、肩身が狭くなるような世の中でした。今こうしてシスターフッドがフィーチャーされることで、友達がいない人に同じ思いをさせてしまっているかもしれないです。
シスターフッドの概念が育った背景には、ただ「私たちの友情最高!」ってだけじゃなく、女性が社会で生きるには、結婚して男性のパートナーを得ることが必須だった社会構造があります。
そのためには男性に好かれなくちゃいけない、受け身になってプロポーズを待たなきゃいけない、そうしないと幸せになれないと思い込まされていた。そうじゃない道もあったよ、こっちのほうが楽しいし幸せな感じがするよ、と提示するために、ずっと書いてきました。
ただ、そういう価値観が市民権を得たことで、友情をむやみに礼賛するのも違うと思いはじめて。『マリリン・トールド・ミー』(2024年)では別のアプローチを試みています。
――コロナ禍で孤独な日々を送る女子大学生のもとにある晩、マリリン・モンローから電話がかかってくる、という少しファンタジックな導入の物語ですね。
山内 マリリン・モンローみたいに、すでに死んでしまっている外国の映画スターであっても、その存在が自分を励ましてくれて、支えになっているなら、それはもう親友と呼んでいいんじゃないか? そういう対象との間にも、友情に近い絆を育むことができているんじゃないか? という思いで書きました。
根幹にあるのはマリリンへの友愛なので、シスターフッドの物語のバリエーションですね。ただ一方で、果たしてシスターフッドという概念は本当に定着したのだろうかという疑問もあって。
たとえば地元富山の若い人たちを相手に毎年講演会をしているのですが、必ず最初に同じ質問をします。「ジェンダーという言葉を知っていますか?」にはほとんどが手を挙げるんです。だけど「意味を説明できますか?」と聞くと、一人二人。シスターフッドって言葉も大半が知らなかった。
出版や映像業界では食傷気味になるほど使われている言葉だけど、実は全然人口に膾炙していないってことは、肝に銘じておきたいです。